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「大東亜戦争は侵略戦争ではない」

はじめに

今年の七月末には九四歳となります。幼い時から人一倍病弱で、こんなに長生きするなど思いもしませんでした。しかし、八五歳を超えてからは、五体不自由となり、最近では、終日屋内生活を余儀なくされてしまいました。

五歳年上の兄も、五年前に旅立ったことでもあり、いよいよ今年あたりはと感じ始め、身辺整理をしなくてはと思い立ちました。

生涯貧乏暮らしで来ましたから、金目のものは何一つありませんが、晩年の暇潰しに書き記した雑文や資料など、死後、老妻に迷惑をかけてはと、いささか整理することと致しました。
すると、古い書類の中に、故小山勇信さんから頂いた手書きの冊子が出てきました。すっかり忘れて居りましたので、中を広げて見ました。内容からすると小山さんが戦友会などで入手されたもののコピーと想われましたが、凄く小さい手書きの文字で読み辛く、つい放置してしまったもので、今回読み直して改めて小山さんに申し訳なく感じたことでした。

それは元日本兵の台湾人・鄭 春河(旧日本名 上杉重雄)氏による「大東亜戦争の原因と結果」に付いての氏独自の見解を述べられた冊子でした。
言うなれば白人支配に対する黄色人種・日本人の抵抗と言う立場で、日本の正当性を強調した一文です。

書かれた時期が平成五年、いわゆるバブル崩壊前の日本経済絶頂期で、今にして見るといささかそぐわない点もありますが、日本の近代史としては教えられることも多く、転記複写して、ごく親しくして頂いている方々に贈呈し、小山さんの志にお応えすることとしました。

なお、蛇足として私見を加えますと、私の感想は次のようなものです。

歴史は司馬遼太郎氏の作品のように、上からの視線で概観するものと、松本清張氏のように下から見上げて粗捜しするものによって、同じ時代の同じ史実も違って見えてまいります。その考え方によれば、この冊子は戦前の日本を上から眺め、いささか美化されているように想われますが、戦時中一兵卒として、典型的な「いじめの構造」と言われる日本陸軍の内務班を経験した私には、とても、当時の陸軍がそんな崇高遠大な理想を掲げていたとは、今尚考えられません。

このような次第でお届けしますので、またまたご迷惑でしょうが、お納め下さるようお願い申し上げます。

平成二十八年 六月  佐 藤 信 良

大東亜戦争は侵略戦争ではない

前書き

「あなた方、日本は先の大戦で敗けて、私どもオランダは勝って大敗をした。いま日本は世界で一・二位を争う経済大国になった。私たちオランダはその間屈辱の連続、則ち勝ったはずなのに貧乏国になった。戦前はアジアに大きな植民地(インドネシア)があり、石油などの資源産物で本国は栄耀栄華を極めていた。今は日本の九州と同じ広さの本国だけになった。

あなた方、日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみ、ペコペコ謝罪しているが、これは間違いである。あなた方こそ自から血を流して東亜民族を開放し救い出す人類最高の良いことをしたのだ。何故ならば、あなたの国の人々は過去の歴史の真実を目隠しされて今次大戦の目先のことのみを取り上げ、或いは洗脳されて悪いことをしたと自分で悪者になっているが、ここで歴史をふり返って真相を見つめる必要があるでしょう。

本当は私ども白色人が悪いのです。百年も二百年も前から競って武力で東亜諸民族を征服し自分の領土とし勢力下に置いた。植民地・属領にされて永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと遠大崇高な理想をかかげて大東亜共栄圏という旗印で起ち上がったのが貴国日本であったはずでしょう。

本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人の方です。日本は敗戦したがその東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放した。その結果アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。

自分をさげすむことを止め堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」

これは平成三年日本傷痍軍人会代表団が大東亜戦争時の敵国であったオランダを訪問したとき同国の傷痍軍人代表と共にアムステルダム市長主催の親善パーティに招待され、その時の同市長の歓迎挨拶であります。

アムステルダム市長に敬意を表すると同時に、これを細川護煕首相に御歳暮として贈呈致します。

一九九三(平成五年)歳末
台湾元住民 鄭 春河 謹書

大東亜戦争の原因と経過

(一) 白人の横暴

十八世紀がスペイン、ポルトガルの時代ならば、十九世紀はイギリス、フランス、オランダ、そしてアメリカの世界となる。イギリスに起こった産業革命で鉱工業は飛躍的に進歩し、各国はその資源の入手と製品の捌け口を獲得するため、右手に剣を翳し左手に聖書を掲げて、世界制覇に乗り出した。即ち海外発展である。戦前の地図を見れば一目瞭然であるが殊にイギリスは「我が領土に太陽の沈む所なし」と豪語しており、重要資源の殆どが白人の手に握られていた。そして徳川幕末の頃にはアジアで彼らの植民地か支配圏に入っていない国は日本しか残っていなかったのである。

幕末に来航したペリーは、日本と仲良くして貿易しようなどと生易しい目的で来たのではない。英・仏・露もみな同じく日本を属国に、あわよくば植民地にして自国の勢力圏に収めようという野望を以て武力を誇示し威圧し、日本を屈伏させる目的で遠く海を越えてやってきたのである。阿片戦争で屈辱的条約を結ばされた清国の悲劇を目の当りにした日本の恐怖は、とても今の感覚では想像できないものがあったろう。当時欧米諸国は武力を以て他国を征服し、支配圏を拡張することによって自国を発展させる最良の手段となし、それが世界通念として認められている時代であった。

現代では、帝国主義による拡張政策は侵略と呼ぱれ国家悪の元凶と考えられるようになったが、それは大東亜戦争という試練を経て会得した人類の進歩であり、多大の犠牲を払ったあげくに達し得た理念である。換言すれば、大東亜戦争という一大転機がなかったならば、依然として帝国主義の世界が続いており各国は領土拡張に鎬を削っていたであろう。ここにおいて考えるべきことは、大東亜戦争に於て日本は中国大陸をはじめマレー半島諸域及び南洋諸島を悉く制圧はしたが、全てを独立させたことである。弱小民族の解放であり、彼等には迷惑をかけたがこれ以上の贈り物はない。追放された白人達が自分達のかつての侵略を棚に上げて、限りなく日本を恨んで戦勝国の名のもとに侵略国の汚名を着せたのである。

(二) 歴史とその時代背景

古来、敗戦国の国民が戦勝国に対して復讐の念を燃やし、いつの日にかその恨みを晴らそうとしていたことは欧州興亡の歴史や日本及び中国の戦国史でも明らかである。これを恐れたアメリカは、極東裁判に於て戦争を始めたのは日本軍閥であり、連合国も日本国民も等しくその被害者であるという理論を宣伝した。無智かつ正直な日本国民がまともにこの虚言を信じたのはそもそも禍のもとであった。またアメリカが進駐して来たら男子は去勢され女子は犯されて日本民族は絶滅されるという流言すら囁かれていた。そんなとき「国民は悪くない、悪いのは軍閥だ」という連合国の巧妙なトリック宣伝は、内心その流言を恐れていた国民に安堵感を与え、いとも簡単にその謀略に引っ掛かってしまったのである。戦争中、米英討つべしと過激な論調で国民を鼓舞し大東亜戦争を支持していた新聞も、一転して軍閥攻撃の急先鋒と化した。占領下にあっては、これも已むを得ないこととは言いながら、戦後四十余年を経た今日、尚この論調を変えていない。

歴史は百年を経なければ正鵠を期し難いとは言われているが、戦後四十年経過して識者の間でようやく真実が語られはじめているのは、喜ばしい現象である。大東亜戦争は既に歴史の中に入った。我々は過去の歴史を土台とし、日々歴史を作りそしてこれを次代に伝えているのである。歴史を見る上で大切なことは、それぞれの時代背景を踏まえて考察すべきである。例えば、赤穂浪士の討ち入りは現代では殺人集団の暴行になるが、今に至るも人々の心を打っているのは、主君の仇を討つということがその時代の道徳であり、四十七人の義士が身を以てその道徳を実践したからに外ならない。

一旦国を挙げての戦争に突入した以上、それに賛成であると否とにかかわらず、戦勝に向かって邁進するのは国民としての当然の務めであり、それが当時に於ける道徳である。特攻隊が一身を顧りみず敵艦に突入したのは当時の日本人の最高道徳であり、末代までも語り伝えなければならない日本精神の精華である。

戦後、戦争に協力したのは間違いであるとか、或いは自分が戦争に協力しなかったことを得々として自慢する輩も居るが、それこそ、その時代の国民道徳を実践しなかった卑怯者であることを自ら白状し、吹聴しているようなものである。国民としての義務と責任を放棄した恥ずべき非国民である。その時代の道徳を践むことが出来なかった者が、どうして今の時代の道徳を守ることが出来ようか。

(三) 明治維新と日本の生きる道

日本は明治維新になって、富国強兵策を取って先進国に追求する道を選んだ。薩英戦争や馬関戦争で欧米の強大な軍事力を目のあたりにした日本は、復讐を採らずに友誼と学習を選んだ。このように帝国主義の鋭い矛先を突き付けられながら、懸命の努力で辛うじて独立を維持し、明治維新を成し遂げた先人達の功績は実に偉大なものがある。この帝国主義思想が、日本のみならず世界の先進国の通念として大東亜戦争の終焉まで続いた。

朝鮮半島の静謐が日本の安全に直結していることは今も昔も変わりなく、日清、日露戦役は半島を支配せんとする清、露両国の圧力を排除して国防の安泰を図る為の自衛戦争であって、もし日本がそのどれに敗れても今日の日本はなかったであろう。この両戦役はいずれも国の総力を挙げて戦った偉大な遺業であることは、今後時世がどう変わろうとも変わることなく、十把ひとからげの侵略戦争として片づけられるものではない。

戦後、富国強兵策が国家悪のように言われているが、明治維新の時代背景に於て、日本が欧米先進国に追いつく為の唯一の方策であり、もしそのとき欧米屈従の属国方策を取っていたなら、完全なる白人支配の世界となり、勿論大東亜戦争はなかったし、今日の日本の発展もなく、諸民族自決の世界も出現しなかった筈だ。

昭和初期に起こった世界大恐慌の荒波は、経済基盤の貧弱な日本にも押し寄せて、財政は益々悪化し国民生活の窮乏はその極限に達し、国際情勢は日本にとって不利の度を加えるばかりである。東北地方の娘身売りや、野麦峠の女工哀史も、この頃のことで、日本は経済的に完全に死に体になってしまったわけである。貧乏人の子沢山で、狭い国土で増えるのは人口ばかり、すぐ隣に横たわる広い大陸に溢出していったのは、追い詰められた日本の取り得た唯一の国策であり、帝国主義世界に於ける当然の帰趨であって、この他に選択の余地は全くなかったことを知らなければならない。今の国民は金を持って世界に進出しているが、その頃の貧乏国民は身体を張って、進出する外なかったのである。

満州事変はこのような時代背景の中に勃発したものである。当時の中国は、戦国時代のように軍閥が跋扈して麻の如く乱れ、殊に満州は匪賊が横行して治安が極度に悪化していた。満州事変の発端となった柳條湖の満鉄線路の爆破は、確かに日本の謀略であり、今の感覚からみれば、許容すべからざる暴挙ではあるが、ここに満漢日蒙鮮の五族共和の王道楽土を築こうという、石原莞爾の計画は、決して場当たりの思い付きや空想ではなかった。

その後一旗組の心ない日本人の為に、必ずしも彼の理想通りには運ばなかった点もあるが、以前と打って変わって治安のよい満州国が育ち、窒息しそうになっていた国民の前途に、光明の窓が明けられたのも事実である。

是非善悪は飯の食える人の戯言であって、白人万能の帝国主義の世界に於て、これが経済的に行き詰まった貧乏国日本の唯一の生きる道であり、国民は喜び勇んで新天地満州に進出して行った。この時代背景を抜きにして、現在の豊かな日本の感覚で満州進出を論ずるから、歴史が歪んで見えてくるのである。

今でこそ侵略と言われていることも、当時に於ては海外発展であり、雄飛であり、青少年の血湧き肉踊る壮挙であり、またその頃の日本国民は、国のため一身を犠牲にすることを厭わぬという気概を持った国民であったのである。

鎖国―明治維新-富国強兵策-日清日露戦役-列強国の仲間入り-第一次世界大戦後の世界大不況-日本経済の行き詰まり、支那事変も大東亜戦争もこの延長線上に起こったものである。遠大な理想と目標を持って船出したものの世界情勢の荒波の中、とりわけ白人支配の世界での舵取りは容易ではなく、恰も大河の流れに翻弄される笹舟のように行き着く先を選ぶことは出来なかった。
それがそもそも日本を大海に押し込んだ原因と言えよう。

(四) 泥沼の支那事変

蒋介石の抗日救国政策による排日侮日の商まりや、北支に第二の満州を築こうという日本の策動で、日支両国は何時衝突してもおかしくない素地はあったが、全面戦争を避けたいという気持ちは双方とも抱いていたのは確かで、その発端となった蘆溝橋に於ける小部隊の衝突は日支とも予期しなかったことで、中国共産党の劉少奇が北京の精華大学生と青年党員を使い、日支両軍の間に潜入して発砲したことが戦後明らかになった。日本と国民政府を戦わせて共倒れを図ったもので、中共としては巧みな謀略であり、双方ともまんまとこれに乗せられてしまった。その後に惹起した支那保安隊による通州の日本居留民の虐殺は、残虐非道の暴挙であった。これに続いて上海の大山大尉や日蓮僧侶殺害など日本国民の感情を逆撫でする事件が次々に起こり、その上少壮過激な現地軍参謀連の独走が加わって、政府の不拡大方針もこれらに引き摺られて拡大の一途を辿った。

日・支(国民政府)が戦って、人的物的国力を消耗して損をするのは両者だけだ。とりわけ日本の国力が疲弊することは、大陸に多くの権益を持ち日本と競合している英米の思う壺であり、世界赤化を目指すソ連・中共にとっても望むところである。

東亜の強国日本の疲弊が願ってもない利益に通じる米英は、これぞとぱかりに援蒋物資を送り込み蒋介石を激励援助した。そこには米英の張り巡らされた情報網によって察知した、日本の経済力の限界についての緻密な計算があった。多くの兵士の血を流した日本が、今更何の名目もなく大陸から撤退することは、当時の国民世論が許すだろうか?もし無名目の撤兵をすれば、国民が激昂し内乱になったろう。事変の解決を阻む元凶は米英にあるということで、両国に対する敵愾心が国民の間に芽生えたのも当然の成行である。しかしそれは日本の言い分であって、自国民の血を流さないで敵を破ることは最も勝れた戦法で、米英から見れば国益につながる賢明な作戦であったわけで、敵ながら天晴れな戦略である。

何も蒋介石が勝たなくてもよい、抗戦さえ続けてくれればそれだけ日本の国力が減耗する。血を流すのは有色人種の支那人と日本人ばかりで、米英ソのどの国も痛くも痒くもない。支那事変を泥沼に追い込んでいるのは決して近衛や東条でもなければ蒋介石でもなく、両者が握手しそうになると、列強の間から援蒋の手が伸びたり原因不明の不思議な事件が突発し、戦線が思わぬ方向に拡大してゆく。前者は大陸に多くの権益を持つアメリカとイギリスであり、後者は世界赤化を目指すソ連である。

皮肉なことに日本はアメリカからの屑鉄と石油を頼りに戦いを続けているので、生殺与奪の権はアメリカに握られていたのである。詰る所シナリオを書いて演出しているのはアメリカ、その筋書きによ。て生命をかけて舞台で踊らされているのが日本と蒋介石だ。ということで、この事変の鍵を握り且つ仲裁をしてくれる事の出来るのはアメリカしかないということになる。そこで始まったのが日米交渉である。

(五) 宣戦

崖緑に追い詰められた日本に、十一月二十八日アメリカの最後通牒ハルノートが叩きつけられた。その内容は今までの交渉を根底から覆す苛酷なものであった。

1、満州国を含む支那大陸及び仏印から軍隊警察の全面撤退
2、大陸に於ける総ての権益の放棄
3、三国同盟の破棄

要するに既に建国十年を経て栄えている満州国をも放棄し、日清日露戦役以来国際法上認められてきた日本の諸権益も投げ出して、大陸から出て行けということで、これは戦わずしてアメリカに屈伏せよというに等しく、到底日本が受け入れられにないことを承知で、突き付けてきたものである。

この電報を受け取った東条首相以下政府軍部首脳は万事休すと天を仰いで慨嘆した。後の東京裁判でインドのパール判事が「このような苛酷な要求を突き付けられたならば、地中海の小国モナコと雖も、銃を執って立ち上がるだろう」と言ったことは、今ではこれを知らない者はいない。これが事実上の宣戦布告であったのだ。

昭和十六年十二月八日、日本国民の如何に多くの者が心の底から開戦を支持し熱狂的な賛意を表したかは、当時の新聞が克明に物語っている。

「戦えば破れるかも知れない。しかし戦わなければさらに惨めで屈辱的な結末を甘受しなければならない。日本が立たなければ米英は戦わずして戦争に勝ったと同じ目的を達成できる。反対に日本は戦わずして戦争に負けたと同じ苦境に立たされる。戦争に踏み切れば大国アメリカやイギリスを屈伏させることは出来なくても、優勢のうちに事態を解決してハルノートという苛酷で屈辱的な要求よりも、多少は有利な条件で妥結出来るかも知れない」これが日本の置かれた立場であって正に死中に活を求める最後の方策であった。当時の日本国民は戦わずして屈伏するほど、無気力な民族ではなかったのである。

また国内的にも、もし陛下が開戦を強く拒否されるならぱ、あるいは陛下に御譲位を迫り、秩父宮殿下を天皇に仰ぐという、強行派のクーデターが起こっても不思議ではないほど世論は激昂したであろう。かくては国内は収拾のつかない内乱状態になり戦争をする前に日本は自滅の道を歩むことになったであろう。それ程までに追い詰められ断崖に立たされたのである。極東軍事裁判のとき岡田啓介元首相は「日本には、このとき戦争か内乱か二者択一の道しか残されていなかった」と述懐している。

マッカーサー元帥は昭和二十五年十月十五日、ウェーキ島に於けるトルーマンとの会談で「東京裁判は誤りであった」と述べ、また翌年五月三日、アメリカ上院外交軍事委員会の公聴会で「日本が開戦を決断したのは、その殆どが安全保障(自衛)の為であった」と言っている。

これが冷酷な世界の本当の姿で、日本の戦争回避努力も陛下の平和を願う大御心も、巨獣の世界戦略の前には一匹の小羊にしか過ぎなかったのである。敗戦によって東条大将は戦争責任を背負って逝かれた。戦争を始めたのは日本国民ではなく日本軍閥である、その元凶は東条であると言う連合軍の巧みな宣伝により、今でも日本人の多くは東条さんを大悪人としているが、戦争へのレールはアメリカによって敷かれたのであって、あの時点で誰が首相になっても、戦争を回避することが出来なかったのであり、東条大将は無慈悲な十字架を負わされた悲劇の総理大臣であったのである。

日本の外交交渉は戦争準備完整の為の時間稼ぎであり、その上真珠湾で卑怯な騙し討ちをしたということが世界の定説のようになり、そのように思っている日本人も多いが、歴史の真実は正しく訂正されなくてはならない。日本は極力対米戦争を避けたかったのだが、追い詰められて遂に開戦に踏み切ったのである。

山本連合艦隊司令長官は、真珠湾攻撃命令を下達するに当たって、もし攻撃前に交渉が妥結したならば、たとえ飛行戦隊が真珠湾の直前に差し掛かっても、直ぐに引き返すことを厳命し、その命令に従えない指揮官は、今すぐ辞表を提出せよと言っている。この頃には日本の外交暗号は解読されていた。日本の手の内はアメリカに筒抜けになっていて、山本司令長官はそのため待ち伏せ攻撃に遭って戦死されたのである。

真珠湾の奇襲は、敵の意表をつく見事なもので、永く東西の戦史を飾るに相応しいものであったに拘らず、出先大使館の怠慢により、通告前の騙し討ちとなり、末代までも歴史に汚点を遺すことになったのは、極めて遺憾なことであった。かくて日本海軍の血の滲むような猛訓練も、岩佐中佐以下九軍神の特殊潜航艇による必死攻撃も、不名誉な騙し討ちという汚名の下に、葬り去られてしまったのである。

十二月八日早朝の大本営発表を聞いたときの国民の感激と興奮は、四十数年後の今もなお記憶に新たなものがある。真珠湾奇襲の成功は、日本国民の志気を鼓舞するのに余りあるものであった。しかし、皮肉なことに、それが「リメンバー・パールハーバー」という合い言葉になって、アメリカ国民の敵愾心をも奮起させる結果になってしまった。・・・・硫黄島に続く沖縄第三十二軍の玉砕により、戦局は破滅的様相を呈してきた。昭和二十年八月一四日の最後の御前会議で、ポツダム宣言受諾が決定された。

大東亜戦争の目的と結果

大東亜戦争は、日本が一方的に仕掛けた侵略戦争であると、勝者によりでっち上げられた。日本国民の中にも「日本は無謀な戦争をしたものだ」と言う人が少なくない。その言葉は戦争に参加しなかった国民ならともかく、聖戦に参加した戦友から聞くことは誠に残念である。もし大東亜戦争が無駄な戦争であったならば、靖国の英霊は犬死にしたことになり、生き残りの我々は負け犬となる。歴史は百年を経なければ正鵠を期し難いと言われているが、戦後四十余年、ぼつぼつ歴史を見直さなくてはならない頃である。

それでは大東亜戦争の戦争目的(政治目的)は何だったのか? その目的を色んな角度から検討してみれば、
1、経済の安定
2、国防の安泰
3、アジア諸民族の解放
にまとめ挙げられる。

(一) 経 済 の 安 定

昭和に入ってからの日本経済は、全く死に体であり、一部の富裕階層を除く大多数の国民は、貧乏を分ち合うという生活に甘んぜざるを得ない有様で、現在の豊かな感覚では想像も出来ない貧乏国であった。

その日本が、今や経済大国と言われるまでに発展し、世界で最も平和で豊穣な生活を享受している。経済の安定という政治目的は、四十余年がかりで立派に達成された。それは勤勉努力を規範とする国民性と、祖先伝来の英智によるものと雖も、中途半端な敗戦ではなく、何もかも徹底的に破壊し尽くされドン底に落ちたことによって、却って新しい道を模索し、追求する意欲を生んだことも見逃すことが出来ない。それにもまして大きな素因は、戦後直ちに始っまった米ソ冷戦であり、日本経済に起死回生の転機をもたらした、朝鮮戦争とベトナム戦争であった。

そして天意とも謂うべきこの素因を造り上げたのは、日本を非武装にし永遠の四等国として極東の一角に閉じ込めるいうアメリカの方針も、米ソの冷戦に直面しては、日本を反共の防波堤として重視せざるを得なくなった為である。

一方戦勝国の戦後はどうであろうか? 台湾に逼塞させられた中華民国は論外として、ソ連や中共の国民生活は謂うに及ばず、米国は日本に勝ったその日からソ連と
いう大敵に対抗して軍備増強に迫られ、敗戦国から賠償を取るどころか、せっせと食糧を補給し、軍隊を派遣して守ってやらなくてはならなくなった。即ち敵が日本とソ連と入れ替ったに過ぎない。そして米ソ共に莫大な軍事費の支出に耐えかねて、国家経済が破綻して世界一の債権国から債務国に転落したのである。イギリス・フランス・オランダも海外に保有していた広大な植民地の総てを失い、二流国に甘んぜざるを得なくなった。

(二) 国 防 の 安 泰

戦前の日本は、北にソ連・西に中国・東に米国・南に英・佛・蘭と四周敵に囲まれており、とりわけ米ソは当面する最大の強敵であ。て、国家予算のかなりの部分を国防費用に回さなくてはならなかった。貧乏国日本にとって、膨大な国防費は国家経済の限界を超えた大きな負担であり、それだけ国民生活が圧迫されていたのである。

戦後の日本は、アメリカの大きな核の傘にすっぽりと覆われ、日米安全条約によって、すっかり守られている。
曽つての占領軍は今や日本の番犬となり、日本はGNP一%程度の予算の二流軍隊でお茶を濁し、せっせと経済発展(金儲け)に専念した。四周にいた敵もソ連一国となり、それも今や熊から牛に変身してしまった。明治以来、国防がこれほど安泰になったことはなかった。

(三) アジア諸民族の解放

戦前の世界地図を見れば一目瞭然である。世界の大部分が白人大国の植民地であり、支配地域であった。第一次世界大戦後に設けられた国際連盟は、白色人種だけの繁栄と幸福を図ることを目的とした機関であり、有色人種は白色人種に奉仕する為の存在でしかなかった。戦後民族自決の気運が急速に高まり、日本が標榜したアジア諸民族の解放は、アジアのみに止どまらず、全世界から植民地が一掃されるに至ったのである。
大正時代、国際連盟で人種差別撤廃を提案した日本が、白人諸国の大反対で否決されたことを思うと、まさに今昔の感がある。

戦後英国宰相チャーチルが次のように語った。
「英帝国が終焉した理由は、英軍がアジア人の目の前で日本軍に惨敗したからである。一度失墜した権威をもう一度掲げることは出来っこない。英軍は戦後も依然として強力だが、しかし、世界の人々は英軍がアジア人に負けたのを見てしまった。」

有色の日本がホンコン・シンガポールで英軍に大勝しフィリッピンの米軍を駆逐したのを目のあたりに見た世界の有色民族から、長年の間に習性とまでなっていた白人隷属の卑屈な気持ちが、ヴェールを剥がすように一掃され、「白人優位・白人不敗」の神話は、これを機に音を立てて崩壊したのであった。まさに大東亜戦争は、有色人種の白色人種に対する壮絶なる巻き返しであり、そしてその力と気魄を持っていた国は、その当時は日本しかなかったのである。
このように此の黄白戦を見ると、日本は戦争に敗れたものの四十余年がかりで大東亜戦争の戦争目的(政治目的)を立派に達成したと言う事が出来る。古今東西永遠につづく戦争はない。しかし政治は永遠に継続し、しか
もそれは過去の足跡の上に、積み重ねられるものである。

戦 犯

(一)「戦犯」と軍事裁判

敗戦国日本は、戦勝国に戦争責任を問われ、歴代の首相や閣僚たちが根こそぎ逮捕された。かつて日本の指導者だった人々は聯合国と称する米・英・蘇・佛・中国・オランダ・カナダ・豪州・ニュージーランド・フィリピン・インドの十一カ国によって極東国際軍事裁判にかけられたのである。

戦勝国による復讐は、一方的な優越感のもとに行なわれた裁判であった。戦勝国は日本の政治組織を根こそぎ解体せねば止まん目的を持って、戦争犯罪人を捕えたのである。

彼等は戦争は非人道的な行為だと主張しながら戦争を挑発し、法廷では、かつての日本の指導者だった被告たちを罵倒した。戦勝国は法律なき軍事裁判の法廷で、日本に侵略国の汚名を着せ、更に無智な国民にそれを宣伝できる効果を利用したのである。それは侵略の強調こそ、白人自らの得意とした「侵略」の歴史を覆い隠すための方法であった。これは米国が中国大陸の権益にありつけなかった復讐であったのだ。

戦争は悪だと決めつけながら、米国は航海の安全を保証されていた日本の「阿波丸」を、台湾海峡で魚雷攻撃している。同船は緑十字マークをつけて、無防備で航行していたが、二千八百名が死亡している。さらに米国は広島と長崎に原子爆弾を投下して、日本人を大量殺害している。

彼等は戦争犯罪を重ねながら、戦勝国の名のもとに責任を棚に上げ、補償さえ度外視した。こうした白人の常套手段がまかり通ったのが、東京裁判であった。被告たちは極刑を宣告されて処刑されたが、これは非合法な暴力による宣告であった。被告たちは日本の将来を想い露と果てた。

(二) 戦 犯 は 誰 か ?

戦争を起した者が所謂「戦犯」である。日本人には此の言葉は該当しない。日本には戦犯が一人も居ない。何故ならば大東亜戦争は日本が仕掛けたのではない。日本は被侵略者で追い詰められて方途を失い窮鼠猫を噛む如く立ち上がったのだ。「座して死を待つより戦って死すべし」と自尊自衛のための矛を執らざるを得なかった日本に、戦犯が居る筈がない。弱肉強食・勝てば官軍負ければ賊軍の掟に従って、敗戦日本を裁くならば「敗戦罪」若しくは「抗戦罪」として改審すべきではないか。日本人は「戦犯」ではない、「敗戦犯」だ。

大東亜戦争はルーズベルト大統領の恐るべき大陰謀によって起った。共謀者がスターリン・チャーチル・中共の頭目たちで、これらが「戦犯」である。

極東裁判所は処刑後の前後処理に関しては明文がない。人道的見地よりしても戦犯として受くべき罪-絞首刑を執行されればそれまでであり、いわんや戦後既に半世紀になるのに、なおかれこれ干渉する他国の馬鹿野郎には腹が立つ。彼等の言う戦犯と雖も、敗戦国日本の大功臣である。これを靖国神社に奉杞するのがなぜ不当なのか。それよりも日本国民でありながら、靖国神社に参拝しないとは何事だ。

(三)パール判事の日本無罪論

極東国際軍事裁判所十一名の判事のうち、只一人インドのラダビノッド・パール博士が一二七五頁にわたる厖大な判決書を認(したた)めて、堂々と日本の無罪と正当性を主張した。その判決書を読めば誰しも納得できる。その内容の要点は次の通りである。

1、支那事変以来、米英両国は中立国の国際法上の義務に違反して、公然と蒋介石政権に対し経済的にも多大の援助を與えた。これは明らかに日本に対する挑発行為である。

2、支那事変の末期、米・英・支・蘭など四ヵ国が協同してA・B・C・D包囲陣を作り、日本を経済的に封鎖した。特に日本に対する石油の全面禁輸をしたことは、日本に対する挑戦行為である。

3、米国は開戦前の十一月二十六日、日本に対し最終通帳を突き付けた。その第三項に「日本は中国及び仏印の全土から陸海軍と警察力を全部撤退するよう」要求した。これは明らかに日清・日露両戦役の結果、日本が正当に得た権益を捨てることを要求するもので、この要求は宣戦布告と同様である。

4、米国は十一月二十七日、前哨地帯の諸指揮官に対し、戦闘体制に入るよう秘密命令を出した。事実上米国はこの日に対日戦争を開始したことになる。米国議会はこの事実を知って非常に驚き、上下両院合同の査問委員会を結成して軍部の挑戦行為を激しく非難した事実がある。

パール判事のこの判決書だけでも、大東亜戦争は誰が仕掛けたのか、侵略戦争か防衛戦争であったかが一目瞭然である。
日本人のことごとくが、キーナン検事の論調に便乗して、日本人の死屍を鞭うっていた時、彼はただ一人、不屈の精神を以て日本の無罪を主張した、判事パール博士はいまは帰らぬ人となったが、日本人として、その判決書の内容は後世にまで伝えねばならない。又この判決書こそは将来、東京裁判を推翻するのに最も役立つ重要な文献である。

パール博士は「戦勝国は敗戦国に対して憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る。しかし、勝者が敗者に與えることが出来ない唯一のものは『正義』である」と書き、更に日本国民に左の金言を贈られた。
「欧米諸国は、日本が侵略戦争を行なったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七年間の経緯を罪悪と烙印することが目的であったに違いない・・私は一九二八年から四十五年までの十七年間の歴史を二年七ヵ月かかって調べた。この中には恐らく日本人の知らない問題もある。それを判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかる筈だ。それなのにあなた方は、自分らの子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」 「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通じて充分研究して頂きたい。日本人の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈頽廃に流れて行くのを、私は平然と見過ごすわけにはいかない。誤られた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き改めねばならない。」

パール博士の言う如く、今こそ日本国民は欧米や中国の日本誹謗の戦時宣伝を払拭して、歴史の真実を探究し歴史の真実に開眼すべきである。

アジアに対して論戦する政治家出でよ 元マレーシア外相 ガザリー・シャフィー(談)

日本の政治家はどうしてお詫びばかりするのか。今もT氏(自民党参議院長老)は私に会うと一番に「過ぐる大戦において我が国は貴国に対してご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と言うのだ。私は思わず言ってしまった。

「どうしてそんな挨拶をするのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか三ヵ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈伏させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思ていた。

日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。その偉業を忘れて政治家たる者が、ステレオ・タイプのように、同じ言葉でお詫びする。人種がすっかり変わってしまったのかとったよ」と。
私が惜しいと思うのは、日本ぐらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。責任感を持った政治家だったら国家の名誉にかけて必ず反論する。もし私が日本の政治家だったら次のように言うだろう。

「その頃アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて独立国はないに等しかった。日本軍はその欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対してゲリラやテロで刃向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然ではないか。諸君らは何十年何百年にもわたって、彼らからどんなひどい仕打ちを受けたかを忘れたのか。日本軍が攻撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚にあげて、責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人の事大主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないのか」と。

目先をごまかしてお詫びをする日本人ほど、調子がよくなると今度は威張りだすのだ。威張るのもダメ、ペコペコするのもダメだ。

教育勅語

(一)教育勅語の機能停止は日本人の大きな誤り

明治維新後、日本は急速なる西洋文明の流入により古来伝統の国民精神が衰え、その低迷を憂慮された明治天皇が国家建設の理想を明らかにすべく、教育の大義を示すために明治二十三年十月三十日、教育勅語を渙発されたのである。

教育勅語は明治二十三年から昭和二十年まで半世紀に亘り、日本の教育の中心としての位置を占めて来たが、戦後占領行政の日本弱体化政策と日教組の暴挙が相まって、遂に教育勅語の機能が停止されるに至った。しかしこれは占領下で止むを得なかったとしても、七年後に日本は独立を回復したのにも拘らず、復活させようともしない。これは日本人の大きな誤りではなかろうか。

岡野篤夫先生日く「日本を袋叩きにして日本のオーナーとなった戦勝国による教育の汚染を拭い去ることは、容易ではありません。しかし日本は今では独立国なのです。他国に迷惑をかけて世界の平和を乱さない限り、自分の立場でものを考えてもよいのです。」

なのに日本人は四十年後の今日、渙発百周年(平成二年)にはじめて、心の中に蘇(よみがえ)らそうとの気運が輿ったのでは、余りにも手遅れではないか。

(二)教育勅語は人倫の常経・天地の公道

日本の明治維新以来の発展と戦後の驚異的な復興は、今や世界注目の的となっている。そしてその精神の基盤をなすものが、実はこの教育勅語にあることを知るに至ったドイツ・イギリス・アメリカーソビエト・中国等の心ある人々が、教育勅語をあらたに見直し更に研究を促進している。諸外国が注目しているこのすぐれた教育勅語の十二徳目は、もともと日本固有の道であった。

教育勅語に「古今ヲ通ジテ謬ラズ」即ち教育勅語は昔も今も変らない正しい道であり、「之ヲ中外二施シテ悖ラズ」は、日本ばかりでなく外国で行ってもまちがいのない道であるとお示しになった通りで、真に教育勅語は人倫の常経、天地の公道であり人類の宝である。いま日本の各地に教育勅語記念碑が建立されつつあるのは、まことによろこばしい現象で頼もしい限りだ。

(三)日本同胞よ心理建設目指して頑張ろう

戦後日本の経済建設は大成功だが、心理建設はこれからである。今まで日本は金儲けに専念して、心理建設を忘れていた。心理建設が遅れたのは、人倫の常経天地の公道である教育勅語を廃棄したのが最大原因である。徳育を無視して、学校では修身を教えないので国民道徳がすたれてしまった。のみならず靖国神社を生徒に教えない。明治以来二百五十万、祖国防衛のため人柱となった人々の霊を祀っている靖国神社を、次代を担う生徒に教えなかったのである。人の命は地球より重いと言われているが、その地球より重い数百万の霊のことを黙殺したまま今日に至っている。

護国の英霊を敬わず、国歌「君が代」も歌わない、国旗「日の丸」をも掲げない日本人は、昔は一人も居なかった。

不思議でならないのは、教育権が日教組の手中にあることだ。速に回収して政府が把握しない限り、教育の改革刷新は出来ない。教育勅語を復活して国民精神の作興振作を図ることが目下の急務である。教育勅語を台湾では、日本統治の最大遺産として珍重し信仰されている。培(つちか)われた日本精神を貴国に輸出しても尚余りある程である。

戦争未亡人の歌

かくばかりみにくき国になりたれば
捧げし人のただにおしまる

あとのことは心配するなと言って、歓呼の声で送り、戦死者を英霊と讃(たた)えて市町村葬を営んでいた。しかし敗戦と共にその評価が変わり、戦死者を讃えれば軍国主義→戦争につながると錯覚してしまう。「戦死者」も「その遺族」も「日の丸」も「君が代」も「日本歴史」も変わらないのに、占領政策はそれらを否定させた。占
領が終って四十年たつのに、日本の心を失う者が増えてゆく。

因果論

人間の行為に善・悪ありこれが因であって、果は天神の公平な裁によって與えられる報酬(報応)である。

極東国際軍事裁判は国際法違反ではあるが、敗者は如何とも術がない。しかれども天理昭昭、勝者の横暴行為には天の主宰は絶対に見逃すことなく公平に裁かれるであろう。戦勝国の殆んどが侵略国で、その報応がはっきりと現はれているではないか。

侵略で得た財産は悉く失ってしまった。共産党は崩壊してソ連は完全に解体された。米国の如きは二重の罪を犯している。侵略罪に続いて逆天罪である。日本を屈伏させて更に残酷な手段で忠臣を殺害したのみならず、日本国解体を企てたが、日本は見事に立ち直った。而して米国は衰退しつつあるではないか。

日本人は永年の苦渋を忘れず、必ず怨念を晴らす人種でもある。現在日本は世界一の経済大国に成長した。ハワイの土地も米国本土の土地やピル・工場や農地も、日本企業の手で買収されている。早かれ遅かれ、米国の土地やビルは日本に買い占められるであろう。米国人は、米国にある日本の工場で、日本製品を作らされることが増加する。これは日本が原爆で多くの人々が殺され、不合法な裁判によって極刑を受けた戦犯たちの仕返しに外ならない。これが即ち因果で、天の裁きによる日本国の果報であり米国の報応である。

敗戦で裁かれた日本は、実力がついてから無言のうちに大東亜戦争で米国から受けた屈辱の何十倍もの仕返しを、四十余年経。た今日に至って晴らそうとしているのである。日本人の心には執拗なほどに反骨の精神が培養されてくる。日本人の反骨心は、まるで水の中に出来る藻のように自然に芽生えてくるのである。

結び

大東亜戦争は「天意」である。もし大東亜戦争がなかったならば、世界は依然として白人優位の神話が罷り通り、四周敵に囲まれた貧乏国日本は、国家予算の大部分を国防に割き、軍備増強に狂奔させられていたであろう。

その結果、戦後四十余年のソ連の恐怖暗黒政治と全体主義の統制経済により塗炭の苦しみを味わされた東欧諸国民の悲劇は、大東亜戦争がなかった場合、或は日本国民が辿る道であったかも知れない。このように考えると「大東亜戦争」があってよかったとも言えよう。

大東亜戦争は白色対有色という図式の世界に於いて、如何なる神仙と雖も阻止できない宿命戦争であり、人類が帝国主義から脱却する為に、避けて通ることの出来得なかった関門であったのだ。それ故に大東亜戦争は「天意」に外ならない。

しかし、大東亜戦争は台湾の我々にとっては迷惑千萬で、日本敗戦と同時に見捨てられて、みなし子になってしまった。それでも私たちは、力強く生き抜いてきた。
辛うじて今日まで生かして貰えた。皮肉な生涯ではあったが、偶(たま)には生き甲斐を感じることもある。幸か不幸かは既に半世紀をすぎたが、未だにその判断がつかない。

私たちはもう日本人ではないが、大東亜戦争の聖戦も参加し、二十六年間日本人として生を享けた故に、これから生れてくる無数の日本人同胞の為に何か残したい。

せめて大東亜戦争の中に生きた真実だけは是非お伝えしたいと思って本文を認めた次第である。

一九九三年
民国八十二年八月十五日(平成五年)
台湾台南市中華南路一段一四二巷四九號
鄭 春河(旧 上杉 重雄)

おわりに

本書は台南市の鄭春河氏の著書、B5・70ページの「嗚呼大東亜戦争」を四分の一に縮小して抜粋、編集替えしたものであります。著者は現在は台湾の会社役員であるが、上杉重雄という元日本兵の台湾人であるという点に特異性があり、ズバリ急所を突き説得力溢れる名著です。大所・高所から大東亜戦争の聖戦なる所以を、明快かつ簡明に解説されていろのに脱帽するばかりで、ご遺族・生還戦友に大きな感動と共感を與えている書であります。

戦没者も生還者も侵略者の汚名を歴史に残すなかれ、との旧母国民への切なる忠言であり、偏向マスコミへの痛烈な批判が文中に満ち溢れ溜飲の下がる思いです。

本書抜粋の目的は、戦争賛美にあらず、戦後五十年を機に戦争の起因背景を再検証して正史を知るにあります。
本書は靖国神社に奉納され、老中年のみならず女性や若者など多数の一般人にも読まれて、ロコミで感動をまき起こし著者に注文する人あとを絶たず、各地戦友会は「響世の書」として大量に注文配布している状態です。

私は平成七年秋の光州中学・光州高女合同同窓会の受付で一冊二百円で購入しました。これに添付されていた折込紙片、戦友会「輜一七会」の啓蒙活動の一文が眼を引いたので、その一部を転記します。

細川首相はその後「侵略戦争」から「侵略行為」と表現を訂正していますが、次の羽田首相も「侵略行為論」を継承し、今の村山総理も所信表明で「わが国の侵略行為云々」と述べています。そして昨夏、東南アジア歴訪に出かけ行く先々で謝罪を繰り返しました。ところがマレーシアのマハティール首相から「どうして日本は五十年も前のことを持ち出して謝ってばかりいるのか」「貿易立国(金儲け本位)の建前は判るが、そのまえに民族
の誇りを取り戻し常任理事国入りを目指しなさい」との誠に有り難い忠告と激励を頂いたことは記憶に新しいところです。

一方国内問題では、村山首相は時の流れに抗すべくもなく、在野時代にあれほど強弁していた「自衛隊違憲」は合憲、「君が代」「日の丸」は是認するなど一転、現実路線を歩もうとしています。

独り硬直した論説をかかげて「侵略だった謝れ」と繰り返す朝日新聞は別として、サンケイ新聞を初めマスコミ各社もようやく軟化の兆しが見えることは誠に喜ばしい限りです。このように時の流れは遅々ながら我々の主張に沿う方向にあります。いまこそ、この流れを史観是正への追い風と受けとめ啓蒙運動を推進しましょう。

泰平の夢をむさぼっていた参戦老兵も「細川暴言」に表される誤った政府認識に出会っては俄然目覚めざるを得ません。首相が侵略と認めた事は、国家が正式に認めた事に他なりません。これは聖戦と信じて戦い逝った二五十万の戦友を犬死扱いする暴挙で断じて許し難く、引いては遺族や生還戦友が待ち望む靖国神社国家護持の実現がさらに遠のくのではと痛心、憤激にたえません。

侵略とは「他国に侵入し土地や財産を奪い領土化する」ことで国家の犯す強盗行為なのです。

戦争遂行の過程で相手国に進攻し軍政を敷くことは戦争行為の常道、一時的なもので、戦い終ればその国に主権を返すことは当然です。「進攻」は一時的、「侵略」は永続的、日本軍は進攻こそすれ、侵略はしていないのです。この区別が大切。事実、進攻各国で有能の士を招いて民族独立を促した延長線上に、今日の東南アジアの姿があります。

大東亜戦争も今年で終戦五十周年を迎えます。昨年もそうでしたが「八月十五日」を巡って今年も戦争関連の話題がマスコミ紙面やテレビ画面を賑わす事でしょう。

間題の南京大虐殺に付いて偕行新刊には、虐殺の三十万人は誇張で実数は一般住民一万五千、捕虜処断一万六千、に加えて戦死三万と書かれています。ともあれ、このままでは侵略戦争として後世へ引継がれ記録に残り歴史の彼方へ没し去りかねません。今こそ歴史の生き証人かつ語り部として、大和民族の誇りをもって子供や孫に正史を伝えなければなりません。どうか「嗚呼大東亜戦争」を教本とし、あなた自らの解説で子や孫に正史が伝わるようご努力下さい。一家の長老、戦争体験者として先ず家中から始めて下さい。とりわけ日教組によって誤った史観を植え付けられた若者の洗脳は並大抵でないと思いますが、老兵最後のご奉行として勇気を出して取り組もうではありませんか。以上。  下川 智

ramtha / 2008年6月1日