筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

「十三、片山先生」

あれは三月上旬のことだったろうか、私の編入された一般兵に新品の夏服が渡された。ビルマの激戦で消耗著しい菊兵団の戦死者の補充として、戦地に送られることになったわけである。
早速、現地でのマラリアなどの風土病にそなえて、四種混合と称する予防注射を受けた。この時も他の兵隊はなんともないのに、病弱な私は四十度近い熱を出し、終日内務班のベッドに横たわるという有様であった。
小倉中学で剣道を教えて頂いた片山先生が、九中隊の先任将校として赴任してこられたのは、その少し前であったかと思う。
ようやく熱も下がったものの、まだ内務班でぶらぶらしていたある日、将校室に呼ばれた。
何事かと思いながら、将校室に入ってみたら、片山先生であった。

先生は杭州湾上陸作戦に従軍、数々の武勲をたてられて、すでに金鵄勲章を受けておられる古参中尉で、中隊長も一目おく存在であったようである。
私が先生の前に立つと、「佐藤君。やっぱり君だったか。君の名前を見たので、そうではないかと思ったが・・・。中学の時はよく病気をしていたようだが、大丈夫かね。」
と私の健康を気にかけて頂いた。
先生が営外居住であったが、たしか西新町の先の方に住んでおられ、一日私のために公用をつくり、ご自宅に呼んでご馳走をして頂いたことがあった。
先生は、戦場での無理が祟って、その頃は結核を患っておられたようで、お顔の色も悪く、時折咳き込んでおられたりした。
その日どんな会話を交わしたか記憶はないが
「無理はするなよ。身体に気をつけろよ。」
としみじみ話されていたことだけは憶えている。

菊兵団の補充要員は、家族に別れを告げるための外泊を与えられ、近く現地へ向かうという頃、ある晩私は週番士官室に呼ばれた。そして明朝、連隊本部の宮崎曹長のもとへ行くように言われた。なんのために行くのか説明がないので分からない。
翌日、指定された時刻に連隊本部へ出頭したが、宮崎曹長はまだ来ていないとのこと。三人ばかりの下士官が雑談している。どんなことになるのか不安な気持ちで、その傍らで待っていると、やがて宮崎曹長が入ってきた。
その後、どんな応答があったのか憶えていないが、なにか作文のようなものを書かされ、学歴や家庭の事情など聞かれた後、連隊副官の部屋で安部大尉の面接を受けた。
結局なんのための面接かも分からぬまま、中隊に帰ってきた。するとその晩下士官室に呼ばれ、先頃貰ったばかりの新品の夏服を脱がされ、再び着古した冬服に着替えさせられた。
「運のええ奴じゃ。お前は明日から連隊本部の事務室に勤務するんじゃ。」
と週番下士官から申し渡された。
その時、ビルマ派遣部隊から内地留守部隊へと、私の運命は大きく変わった事であったが、今から考えてみると、病弱な私に対する、片山先生の配慮があってのことだったのではないかと思われる。
それから数日後、菊兵団の補充要員は出発して行ったが、彼らは五島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け、大半が東シナ海の藻くずとなったと、後日聞かされたことであった。短い期間ではあったが、寝食を共にしたいくつかの顔が脳裏に浮かび、しばらくは後ろめたい思いに、寝付かれぬ夜が続いた。

(注)金鵄勲章(キンシクンショウ)=武功抜群の陸海軍軍人に下賜された勲章。功一級から功七級まで。明治二十三年制定。年金または一時金の支給を伴う。昭和二十二年廃止。

ramtha / 2015年6月16日