筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

「十四、握手」

靖国神社合祀事務の手伝いに、毎日内務班から将校集会所へ通っていた頃、新たに教育招集の新兵が入隊してきた。彼らは私より、四、五才は年上の者ばかりで、その多くは妻帯者であり、なかには子持ちの者もいたようだ。
軍隊では階級もさることながら、それにもまして軍隊での飯の数、経験年数がものを言う社会である。僅か数ヶ月しか違わないが、いまや私も彼らからすれば古参兵である。もう飯上げや食器洗いも、彼ら新入りの連中がしてくれ、食器の員数で一喜一憂することもなくなった。
それは大変有り難いことではあったが、私の隣のベッドに配置された新兵が、内務班のしきたりに従って、私の下着を洗ってくれたり、軍靴の手入れをしてくれたりするのには、いささか戸惑った。
私の付き人となった西二等兵は、私より五つ六つ年上で、娑婆では事務職のサラリーマンのようであったが、黒縁の眼鏡をかけた色白の、見るからに紳士である。
そんな人に、自分の下着を洗ってもらったり、靴磨きをさせるなど、平気でできるものではない。
夜のベッド作りも、すべて初年兵がするわけだが、つい昨日までさせられていた私まで、彼らがバタバタと忙しげにしているのを、古参の上等兵達と同様に眺めているというのは、どうも落ち着かない。そこで、自分のベッドは自分で作ろうと毛布を広げていたら、向こうの方にいた上等兵がツカツカとやって来た。
彼は私の隣で前屈みになり、毛布を広げてベッドを作っている西二等兵の腰を、いきなりいやというほど蹴り上げた。よろけて倒れたところを引き起こし、頬を激しく殴りつけた。
なんで殴られたか分からず、突っ立っている西二等兵の頭上に
「貴様っ、古兵に手伝わせる奴があるかっ」
と怒声が降ってきた。
私は内心しまったと思ったが、もはや手遅れである。
彼のために言い訳してやるいとまも無かったが、かりに言い訳をしてやれば、さらに上等兵の怒りを煽ることになるのは、それまでの経験に照らして明らかである。私は何も言わず、殴られた衝撃で吹っ飛んだ彼の眼鏡を拾ってそっと手渡した。
私の心ない行為で、受けずともよい制裁を受けた彼に、一言謝りたい気はするが、皆の前ではそれもできない。
消灯後、ベッドに入った私は、毛布の下から手をさしのべ、隣に寝ている彼の手を探った。私がお詫びと慰めの意を込めて彼の手を握ると、彼は私の手を握り替えし、二度小さく動かした。
「分かっていますよ。心配しないで下さい。」
という彼の心が伝わって来た。やはり彼は私より大人であり紳士であった。
その後、日ならずして、私は積兵団に編入されることとなり、彼とは別れ別れとなってしまった。
戦後、私は麻生鉱業に入社し、昭和二十四年、本社から吉隈炭坑労務課に転勤した。
転勤して間もないある日、机に向かって事務を執っていると、私の傍らに寄ってきて
「佐藤古兵殿、お久しぶりであります。」
と声をかける者がある。
頭を上げてみると、なんと、あの西二等兵が、にこやかな笑顔で立っているではないか。
私はちっとも知らなかったが、彼は吉隈炭坑の経理課であった。
「軍隊では大変お世話になりました。消灯後、貴方がそっと下さった饅頭を、毛布の中でこっそり食べたこともありました。しかし、私が殴られたときに拾っていただいた眼鏡は、縁が曲がってしまって、もう使い物になりませんでしたよ。」
と笑いながら昔話をしていた。
彼はその温厚な人柄で、会社でも人望のある職員であったが、四十代の若さで急逝してしまった。

(注)教育招集=教育のため未教育の補充兵を招集する。

ramtha / 2015年6月15日