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「十五、悪夢」

開戦当初は華々しい戦果が伝えられたものの、昭和十七年六月のミッドウェー海戦をを境に戦局は次第に傾き、アッツ島での玉砕、ガダルカナルよりの撤退と、敗戦の色濃くなる中で、私たちは入隊したのであった。
しかし私たちに伝えられるものは、大本営発表によるニュースに限られ、入隊してからは、そうしたニュースも耳にすることはできなくなった。だから戦局がどれほど深刻なものとなっているかは、知るよしもない。
毎日の演習と内務班の雑事に追い回される兵隊にとっては、その日その日をなんとか無事にやり過ごし、一刻も早くベッドに潜り込むことのみが、最大の関心事であった。
上官の目が届かない洗濯や靴磨きの時など、たまに同僚と戦局についての噂話をすることはあったが、自分たちにはどうすることも出来ないことを、あれこれ思い煩ってもはじまらない。その頃の私は、そうした無知と無関心の中に浸っていた。

昭和十九年の七月初めぐらいだったか、新たに積兵団が編成されることになり、私も積二部隊(正式名称は歩兵一八七連隊)の連隊本部要員を命じられたた。前に菊部隊補充要員に編入されたときと同様に、新品の被服が支給されたので、戦地へ出動することとは推測されたが、どこへ向かうのかは、私たち兵卒には知らされない。
積二部隊の連隊本部は、とりあえず将校集会所を仮事務所として、出動準備を進めることになったので、私は再び営門前の将校集会所に通うこととなった。
本部事務室では将校や下士官が忙しそうに出動準備の業務に追われていたが、私は彼らの指示に従って、書類の整理や梱包、時には連絡などの雑務をしていた。
ある日、連隊副官に呼ばれ、副官室に入ったところ、安部副官は柴田参謀と壁に掛けられた地図を指しながら話をしている。会話の終わるのを傍で待っていたが、二人の眺めている地図は大きな九州地図で、柴田参謀の指さしているところは大隅半島である。
どうもわれわれの出動先は南九州らしい。私はこのとき初めて米軍が日本本土に迫っていることを知り愕然とした。
だが、考えてみれば、「転進」という名のもとにガダルカナルを放棄したのは十八年二月。それから一年半ばかり経過しているのだから・・・。このとき「敗戦」の二文字が私の頭の中を駆け抜けた。
しかし、それがどういう形で自分の前に現れるのかは想像もできなかった。それよりも一瞬のこととは言え、私の脳裏に浮かんだ「敗戦」を、副官や参謀に気づかれはしなかったか・・と思ったが、副官が私の方に向いて言ったのは
「森軍医にすぐ来るように」
ということであった。
私は副官の前から下がりながら、頭の中をよぎった悪夢を追い払わねばと思っていた。だが、毎日の忙しい雑務はたちまちそんな悪夢を遠くへ押しやってしまった。
その時は考えてもみなかったが、将校達は私などよりもはるかに多くの情報を得ていただろうに、彼らはそんな悪夢は見なかったのだろうか。それとも私と同じように、目前の任務に没頭することで、追い払い追いはらししていたのだろうか。

ramtha / 2015年6月14日