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「いわき市避難民問題に思う」

今朝の毎日新聞は「被災者帰れ」という落書きの見出しで,福島県いわき市の住民トラブルを特集している。その記事の一部を抜き書きしてみる。
 
・東日本大震災の被災地でありながら、東京電力福島第一原発事故の多くの避難者を受け入れている福島県いわき市の市役所本庁舎など幾つかの市関連施設で、昨年暮れ『被災者帰れ』と落書きされているのが見つかった。
 
・いわき市には震災後、原発事故により双葉郡の八町村を中心に約二万四千人が避難し、原発作業員らを含めると、人口約三十三万人の一割にあたる三万人前後が流入しているらしい。
 
・この流入避難民と地元住民との間で軋轢が生じ、震災から二年以上経過した今も続いているという。
 
・いわき市の渡辺市長は、昨年、国や県との福島復興再生会議で「ゴミは一割増し、震災前から医師不足だったのに医療は三割増。仮設住宅近くの医師は疲れてやめたいという話も出ている」と訴えている。
 
・双葉郡からの避難住民は医療費が無料になっているのが、病院混雑の一因と見る市民もいる。
 
・落書き現場の一つ同市中央台で町作りに関わる某氏は、やり場のない市民の思いを推し量ってか、こう解説した。「あの落書きは良いわけではない。ただ、本当にいわき市民の気持ちを代弁している」
 
・中央台は丘陵を切り開いた造成地で、いわき市内にある三十六箇所仮設住宅の内十二箇所が集中し、計一千戸に約二四〇〇人が入居する。この内一箇所にいわき市の津波被害者が入り、残りはすべて広野、楢葉両町の被災者である。
 
・楢葉町の避難住民の一人は「誰が書いたか言いたくない。でも原発で月十万円貰えるから、いわき市の人から羨ましがられるのではないか」と感じる。
 
・同じ仮設住宅に住む五六歳の女性は、いわき市の人から話しかけられ、楢葉町から来たと伝えたら「あんたらはいいよね。遊んでいながらお金が貰えるんだから」と言われた。以後楢葉町から避難していることは話さない事にしている。
 
・一方、いわき市民にしてみれば、避難者の流入により交通渋滞が激しくなり、スーパーや病院では混雑するなど、日常生活への影響もあり、避難者の生活ぶりに対する不満も少なくないという。
 
この記事を見ると、震災による生活の急激な変化で、いわき市民と流入避難者双方にストレスが溜まり、その状態が長く続いていることが原因であることは明らかである。
しかし解決法となると、なかなか難しい問題のように思われる。
 
個人の通常の転居の場合でも、新しい住居の隣近所の住人はどんな人かと心配するものである。
私が麻生産業(株)に勤務していた時は、事業所にも本社にも独身寮や社宅があったので、転勤しても社宅係の指示に従えばよく、自分で住居を探す苦労はしなくて済んだ。だから隣近所の住人も同じ事業所の社員で、全然見知らぬ人というのではないが、それでも赤の他人とは違う気遣いもさせられてものである。
和辻哲郎先生の「人間関係論」ではないが、人は一生他人と共生しなければならないわけで、人との交際の良否が生活の明暗を分けることともなる。
 
結婚して初めて社宅に入居するときは、先輩の教えに従って、入居当日タオルのような些細な品を携えて挨拶回りをしたことが思い出される。
わが国では古来、「傍(そば)に参りました」という語呂合わせの「引っ越し蕎麦」という言葉があるように、転居したときには、近所にお近づきの印として蕎麦を持って挨拶回りをする風習があった。
ところが昭和四十六年、東京へ転勤し、会社で借り上げてくれた借家に転居したときは、周りは何をしているのかも分からない他人ばかりで、甚だ気になったが、今までと同様の挨拶周りをした。しかし都会では、そういう仕来りはもう無くなっていたのか、どの家でも怪訝な顔をされたことである。
昭和五十三年、長男が結婚し、葛西の新築マンションに入居したが、隣部屋にだけは挨拶したことであったと思うが、マンションの住人達は互いに「隣は何をする人ぞ」といった暮らしぶりで、時代の変遷を改めて痛感させられることである。
 
ところで、いわき市の避難民流入は、通常の転入とは大きく異なっている。
その第一が多人数の集団転入であり、病院、スーパー、道路、ゴミ処理など、受け入れる地域のインフラでは処理できない程の影響を与えるものであった。
 
第二に、転居が災害によるもので、流入難民にとっては自らの意志によるものではなく、半ば強制されたもので、仮設住宅も国が当然用意すべきもので、自分たちは不満ながらも不承不承入居しているのだという気分があったのではあるまいか。
 
第三に、受け入れ側の住民に事前の説明や要請が十分なされなかったのではと思われる。寝耳に水の災害で、ことを処理すべき国も自治体も応急処置に追われ、住民心理など顧慮する余裕が無かったことだろう。
 
以上、ことの原因について私なりに考えてみたものの、現実的解決策は見出し得ないが、この問題を巡って感じた事を記してみる。
 
通常の想定を超える災害の発生は、国や行政の責任によるものではない。従って国や地方自治体の救済や援助を当然のものとすることには、大正生まれの私は違和感を感じる。
今の世代の人たちは、基本的人権は憲法で保障されているではないかと反論することだろうが、基本的人権の具体的内容が示されているわけでは無く、国が保証しうる人権の内容は、その時々の国の経済力によって上下するものと考えるが、どうだろう。
 
また、流入避難民も在来の住民も、一度は相手の立場に身を置いて考えてみたのかも知れないが、今少し相手の身になってみてはと思われる。
 
人間がこの世で生きて行くには、周りの人に助けられたり助けたりして行くほかはないのだから、人の気持ちを忖度(そんたく)する姿勢が大事なのではと思うが、どうだろう。
 
同じ日本人同士でも、共生するにはかくも問題があることを考えれば、風俗習慣を異にする他民族と共生することは容易でないと危惧される。
しかしよろずグローバル化が急速に進展する今日、他民族との共生はもはや避けられないことで、長年単一民族の社会に住み慣れてきたわれわれ日本人にとっては、容易ならぬことではあるが、覚悟して取り組むべき緊急の課題であろう。
 
(平成二十五年五月二十四日)
 

ramtha / 2013年10月21日