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「社会保障と自己責任」

私の住んでいる福岡県飯塚市周辺は、かつて日本経済の戦後復興を支えた産炭地であったが、昭和三十年代半ばからエネルギー革命の波に襲われ、炭坑の閉山が相次ぎ、昭和四十年代末には、ほとんどの炭坑が消滅してしまった。
 
当時、石炭協会の会長を務めておられた麻生太賀吉社長は、炭坑閉山による社会不安を減少するため、政府に働きかけ諸々の産炭地振興策を引き出されたことであった。
その手厚い施策と当時の日本経済の高度成長に支えられ、筑豊地方はさしたるトラブルも無く、平穏に閉山を完了することが出来た。
なお、その後は麻生太郎代議士の尽力により、自衛隊駐屯地や九州工業大学二瀬キャンパスの誘致、JR篠栗線の開通などが行われて、今日の筑豊の姿が作られている。
 
しかし、「政治に百点満点はない」と太郎さんがその著書「異論」で述べられているが、今日、医療保険・失業保険・生活保護費など社会保障費の採算では、飯塚市は全国でワーストテンの常連であるという。
 
生活保護費の支給日にはパチンコ屋が賑わい、中には親子三代生活保護で暮らしているなどという話を耳にすると、首を傾げたくなるのは私一人ではあるまい。
 
国の財政赤字は先進国の中でも特に劣悪で、その建て直しが国際的にも求められているようであり、地方自治体も大半が苦しい遣り繰りをしているとのことである。
にも拘わらず生活保護費の支出総額は近年急速に増大していると伝えられている。
 
先日は中間市役所の職員が生活保護費詐取事件に関与し逮捕された新聞記事が見られた。また他に収入があることを隠して長年生活保護費を受給していたという事件も少なからずあるとか。まことに嘆かわしい限りである。
 
社会保障の不正受給もさることながら、日本の社会保険制度は、国民の善意を前提として制度設計しているのではないか。その道に暗い私にはよく分からないが、自治体の担当者は業務多忙のため受給者の生活を把握し難いという記事などを見ると、そう思われてならない。
 
昭和の高度成長期は経済界も国民の所得も右肩上がりで、誰しもが昨日より今日、今日より明日と、坂の上の雲を目指して走っていた時代は、多少の不心得者が居ても、社会の営みの大半が国民の善意に支えられて行われ、不都合は無かったのかも知れない。
 
平成に入り、いわゆるバブルがはじけ、経済が停滞し始めてから、新卒学生の就職も厳しくなり、リストラや企業倒産のニュースが頻繁に聞かれるようになった。どうもその頃から国民大衆の善意が揺らぎ始めたのではなかろうか。諺に「貧すれば鈍す」というが、むしろ「貧すれば貧す」というべきではないか。
 
社会を平穏に保つには、社会保障は欠かせないものではあるが、今日のような風潮の世では、善意を期待する社会保障は、怠惰な人間を増やすことになるのではないかと思われる。
 
かつて英国病を退治し、元気なイギリスを復活したあのサッチャー女史もまず手をつけたのは、過剰な社会保障費の切り下げであった。
 
アメリカではオバマ大統領が貧困者対策として公的健康保険の充実を目指しているが、自己責任を基本理念とする共和党の反対に苦戦しているようである。
 
日本の社会保障制度に慣れ親しんできた私たちから見れば、オバマ大統領の施策案でも、まだ過剰とは言えないように思われるがどうだろう。
 
こうしてみると、社会保障と自己責任のバランスは、人間社会の永遠の課題ではあるまいか。
 
(平成二十五年七月二十四日)

ramtha / 2013年12月14日