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「マスコミの報道姿勢に思う」

今朝の毎日新聞に、昨日の終戦記念日、全国戦没者追悼式が行われ、安倍総理が式辞を述べた記事が載っていた。その中で例年の式辞に述べられていたアジア諸国への加害責任に触れなかったことに、野党からの批判があることを記している。これを見て私は些か違和感を覚えたが、どうしてだろう。考えてみた。
 
① この式典は近年毎年行われているようで、その時の総理大臣が出席し式辞を述べているらしい。その式辞の内容は大同小異で、先頃の太平洋戦争時、アジア諸国への被害を及ぼした事に対する謝罪の文言が含まれているということのようだ。その部分が今回は欠落しているという。
 
恒例の式辞と異なる事が何故問題とされるのだろう。私たちの世界では、同窓会や同好会など毎年行われる会合で主催者が挨拶するものだが、毎年同じ内容ではお座なりで熱意が無いものと受け取られがちだから、なるべく従来とは異なるように工夫する。
どうして戦没者追悼式の式辞は恒例の内容で無ければならないのか分からない。毎年同じでは戦没者に失礼ではないか。
 
② 私の目にしたのは毎日新聞十三版だが、この紙面には安倍総理の式辞の全文は掲載されていない。安倍総理は全国民を代表して行ったわけで、式辞に対する批判よりも、新聞としては読者にその全文を伝えるべきものと思われるが、どうだろう。
 
③ 紙面には民主党大畠幹事長の「近隣諸国との関係を改善したいのであれば、歴代首相が明言してきた文言を外した真意を説明すべきだ。対外関係を悪化させ、国益を損ないかねないか非常に心配だ」や、社民党の福島前党首の「歴代の自民党政権でも加害責任を言ってきた。安倍内閣は侵略戦争という歴史認識を変える誤ったメッセージを世界に発することになる」というコメントを載せている。
 
大畠氏も福島氏もマスコミの取材に応じてのことであろうが、本当に国益を害することと心配しているのなら、直ちに外国にも知れ渡るマスコミに向かって喋るより、安倍総理本人に直接忠告しないのか。
 
この問題に限らず、政界の要人などが、総理や内閣に対する批判を、本人へではなくマスコミに向かって発言していることをしばしば見受けるがどうしてだろう。
本当に国を憂いてのことであれば、まずは総理など本人にすべきで、それをせず、大向こう受けするマスコミに向かって発言するのは児戯に等しい自己顕示のパフォーマンスに過ぎないのではないか。
 
そういえば、些か話は違うが、私は麻生産業(株)に勤務していたとき、上司の熊谷部長から「部下の過ちを注意するときは、別室でするとかして、人前でしないように」と諭されたことが思い出される。諺にも「一寸の虫にも五分の魂」というように、その人のプライドを傷つけないようにという諭(おし)えであった。
 
④ マスコミが如何なる事を取材しようとも、それに異論はないが、その内容を報道するか否かは、慎重に検討して貰いたい。今日マスコミの報道は瞬時に世界中を駆け巡る。その影響は甚大で、国益に反するからと言って取り返しはつかない。
 
今でも自国を貶める報道が少なからずあり、中国や韓国の民衆は、日本のマスコミさえ取り上げているのに、政府は何をしているのだと自国の政府を突き上げ、やむなく日本政府に抗議をするということもしばしばあったと聞く。
 
マスコミは事実の報道に忠実であらねばならないが、それによって国益を害することは許されない。マスコミに従事する者は、報道人である前に日本人である。みんな日本政府の庇護の下に、誰にも妨げられることなく、その仕事に従事できていることを忘れてはならない。
 
私はかつてサンケイビルの中で仕事をしていたことがある。そこで新聞社の様子を垣間見ることがあった。そこで感じたことの一つに、新聞記者は駆け出しの若造でも、取材に当たっては、普通ではなかなか面会もできない一流企業の社長さんとも、面談の機会を与えられ、丁寧な応対を受けているように思われたことである。
 
取材される側にしてみれば、相手が新米記者であっても、どんな記事を書かれるか分からない。その記事次第では自社のイメージを傷つける恐れもなきにしもあらず、とにかく好印象を持たせて帰すに若(し)くはない。
こうしたことから、マスコミの記者が自らを見失い尊大になるのではないか。どうもそう思われてならない。
 
(平成二十五年八月十六日)

ramtha / 2013年12月25日