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「カタカナ語」

 
前々からカタカナ語の氾濫は目に余るものがあったが、今朝はまた毎日新聞の一面に「スーパーセル」という言葉が登場した。またまた自分の時代遅れを指摘されたかと思ったが、これはそうではないらしい。日本では滅多に無い巨大積乱雲で、9月3日の竜巻を起こした犯人ということのようである。
 
また同じ記事の中に「藤田スケールF2」というのも初めてお目にかかった。新聞紙上にも珍しい用語として、解説コラムが載っている。
 
それによれば、竜巻など突風の風速を被害状況から大まかに推定する尺度。
竜巻は規模が小さく風速計を使った観測網で捉えることが難しいため、1971年に米シカゴ大学の気象学者藤田哲也博士が考案したものと言う。
強い順からF5~0の六段階で、これまでの国内最強は平成24年茨城県つくば市を襲ったのがF3という。
 
長生きをしていると、日に日に新しい言葉に付き合わされてかなわない。対応する適切な熟語がない場合はやむを得ないが、極力漢字による熟語を用い、カタカタ語は避けて欲しい。
漢字であれば「胃潰瘍」は胃の一部が爛れる病気であろうと想像できるように、初めて見る熟語でも、一つ一つの漢字の意味を繋ぎ合わせれば、大方のことは類推できる。
 
先頃も「みんなの党」の渡辺代表が「アジェンダ-」というカタカナ語を使い、視聴者には聞き慣れないのではと思ったのか「行動計画」と言い直していた。言い直すぐらいなら、初めから新奇なカタカナ語など使わなければいい。
 
どうも日本人は外来語や外来語紛いのカタカナ語は格好いいという思いがあるようである。
そうした新しいものにすぐ跳びつく性癖は今に始まったことではなく、大昔の大和時代からあるようで、朝鮮半島を経由して漢字が渡来してくると、早速これに跳びつき、万葉集など大和言葉の歌も漢字で記している。
 
尤も当時わが国にはカタカナもひらがなも無かったから、歌を書き留めるとすれば漢字を借りるしかなかったという事情もある。
 
しかし、日本と同様漢字を輸入した韓国では、漢字をその意味・発音さらには文法ともども漢文として受け入れ使用したが、自国の言葉にあてはめて使う事はしなかったようである。
漢字はもっぱら公式文書の作成などに携わる官吏や知識人が使うもので、庶民にまで流布することはなかった。
のち無筆の庶民の為に李朝の世宗がハングル(別名、諺文=オンモン)を作らせたと言われている。
 
日本では明治の文明開化で欧米の文物を大量に輸入したばかりでなく、着物は洋服に、履き物は靴、丁髷(ちょんまげ)頭は断髪にと、日常風俗まで一新している。
太平洋戦争の終戦後はアメリカ文化を追いかけ、おびただしいカタカナ語が氾濫する世の中となった。中にはアジト、イージーオーダー、インターハイ、ガソリンスタンド、オールドミスなど、欧米人には通じない和製のカタカナ語まである。
 
カタカナ語を自由に喋れることは、ステータスシンボルでもあるかのような風潮があり、その増殖は止め処がない。私のような時代遅れのために、今では「カタカナ語辞典」が市販されている。
 
こうした現象は自主性の無さや軽薄な日本人の性格を表していて、これだけを見ていると自己嫌悪に陥る。しかし、裏返せば物事に拘らない、まことに素直な素質を備えていると言えよう。
 
学童でも先入観が無く素直な生徒ほど、何事も抵抗なく受け入れ理解が早い。日本人のこの素質が、古代から今日まで外来文化をいち早く取り入れ、わが国を先進国の一員とした最大の要因ではないか。
 
万事、表があれば裏があり、自虐趣味の有識者のように、自らの欠点ばかり論(あげつら)って、これから国を背負う若者を自信喪失させていても、百害あって一利なし。
むしろこの性質を利点として、学問芸術あらゆる部門でよりレベルを上げ、世界に誇る文化国家を目指すべきものと思われる。
 
(平成二十五年九月五日)
 

ramtha / 2014年9月22日