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「朝日新聞誤報問題に思う」

八月以来くすぶり続けていた朝日新聞の誤報問題の責任を取って木村社長が辞任した。今朝の毎日新聞では、そのことについて「幕引き無責任すぎる」とする大石泰彦青山学院大学教授と 「正しい評価も必要」とする佐藤卓己京都大学准教授の下記のようなコメントが掲載されている。
大石教授は「慰安婦に関する誤報が長らく放置されたのは重大だが、取り消しに謝罪しなかった事は本質的な問題では無い。吉田調書を巡る報道は捏造ではなく勇み足の誤報だと思うし、池上氏のコラムを誰が止めたか不明のままだ。一連の問題では不可解なことが多すぎ、朝日新聞はどこに向かって謝っているのかわからない。社長の辞任で幕引きするなど、とんでもない。木村氏が辞任に際して記者会見しなかったのも無責任すぎる」
佐藤准教授は「速報性を重視する新聞について誤報は避けられないものだ。重要なのは、誤報の後の速やかな訂正、謝罪だ。朝日新聞が誤報理由に社長が引責辞任するようでは、新聞社が今後、速やかな誤報を認めるハードルが高くなる。むしろ池上彰さんのコラム掲載見合わせを含め、事後処理を誤った責任の方が問われるべきだと思う。 」
私は朝日新聞を購読していないからこの事件について云々する資格はないが、右のコメントを見ていささか違和感を感じた。書き留めてみる。
大石教授のコメントは一連の問題の解明がされていないとするので朝日新聞を見ていない私はまだそんな段階かと理解するだけだが、 「取り消しに謝罪しなかった事は本質的な問題では無い」と、 誤報謝罪にいささか寛容ではないかと感じた。
この問題に限らず、今日の新聞の報道は、日本国内はもとより、全世界に伝えられるにもかかわらず、一面のトップ記事の誤報についても、謝罪は2面以下の片隅に小さくされていることが多い。
私は誤報の訂正謝罪は、誤報を掲載した同じ位置でなされるべきものと思っている。
新聞の読者の大半は、自分の関心がある記事以外は見ないで済ませているのではないか。私は隠居の身で自宅で購入している毎日新聞のみを見ているので他紙がどのようになっているのか知らないが、おそらくどの新聞も総合、政治、国際、経済、スポーツ、家庭、社会などの紙面に分かれ、それぞれの掲載紙面は毎日ほとんど変わらないのではないか。
政治、国際、経済の記事は見るが、その他の紙面は見たことがないという読者や、スポーツ、家庭、地域情報と社会面は読むが. 他は関心がないという読者も、少なからずあると思われる。
だから誤報の訂正謝罪はその誤報記事を掲載した同じ位置にされないと、誤報を読んだ読者は、誤報訂正記事を見ることなく、最初の誤報を信じ続けることにもなる。
今度の事件に関わりなく、新聞各社は、誤報の訂正謝罪は誤報した紙面の同じ位置に掲載してほしいと考えている。
次に佐藤教授の「速報性を重視する新聞にとって、誤報は避けられないとする」のには大いに違和感を感じる。
全国のほとんどすべての家庭にテレビが普及した今日、速報性はもはや新聞に求められる重要使命とは思われない。むしろ新聞に求められるのは、多少遅れても正確な報道とその道の識者による適切な解説ではないか。今日の社会では国民教育に最も力のあるものは、新聞に勝るものはない。テレビは普遍性において有力ではあるが、一過性であることと、同時放映される他の番組はビデオを利用しない限り見られない点で新聞にはとても及ばない。私は新聞は速報性より正確性に重点をおいて編集発行してもらいたいと思っている。
なお「誤報は避けられない」とする佐藤教授は、冤罪とまでは言われないにしても、誤報による被害者の心情を考えたことがあるのだろうかと疑問になる。広報によって周囲の目にさらされる被害は、小さな訂正記事によって名誉が回復されるとは言えず、傷つけられた心情は癒されるものでは無い。ときには就職や縁談などでその人の人生に大きな爪痕を残すこともなしとはしない。新聞は誤報絶滅に力を注いでもらいたいと私は願っている。
(平成二十六年十一月十五日)

 

ramtha / 2015年5月3日