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「中国再考」

先ごろ注文していた葛兆光著(上海復旦大学文史研究院院長)「中国再考~その領域、民族、文化~」が届いた。早速ひもといてみる。
中国については旧制中学で東洋史や漢文の論語、十八史略で学んだ程度の知識しか持たない私には、なかなか読みづらい本ではあるが、中国に対する今までの私の認識が、いささかに皮相的で誤りの多いものであったかを自覚させられた。
読後感想を忘れないうちに書きとめておくことにする。
① 中国がかつて東洋文明の中心であり、日本、朝鮮、琉球などは、その周辺国として朝貢して、その文明のお裾分けを頂いていた事は承知していたが、聖徳太子が隋の煬帝に対等の国書を送ったときから、日本は既に朝貢国ではなく独立国であったと認識していた。
しかし中国では清国が滅亡するまで、中国が盟主で、周辺諸国はその庇護の下にある国々と言う妄想にとらわれていたようで、その考えは今なお中国人の心の底にくすぶり続けており、近年GDP世界第二位に発展すると共にその火種は勢いを増しているらしいという。

② 中国の人口は十三億で、その八割は漢民族であろうと単純に考えていたが、中国の歴史を顧みると、モンゴル族の元・満州族の清に支配されていた時代はもとより、太古の昔から幾度も匈奴や突厥、韃靼、ウイグル等周辺蛮族の侵攻を受け、そのまま中国本土に定着したり混血したりして、今では漢民族になりきっている者も少なくないという。その数がどれぐらいのものか計り知れないが、億を単位とするほどもいるのではあるまいか。あるいは純粋な漢民族はもはや存在しないのかもしれない。

③ 中国は漢字を使っているが、現代の中国語の文字、語彙、文法は大きく変化している。今日の中国語が蒙元・満清時代の口語に影響を受けた事は言うまでもなく、 五四新文化運動で伝統的な口頭言語が書面言語として使われるようになった。
また西洋由来の新しい語彙が非常に多く混入して「経済」「自由」「民主」など、元来の漢語とは語義が異なってしまった語彙が多く定着しているばかりか「意識形態=イデオロギー」「電脳網略=コンピューターネットワーク」 「××主義」 「下崗=レイオフ」等、新しい語彙も用いられるようになっている。

五四運動:一九一九年五月四日北京に起こった学生デモ隊と軍警の衝突事件に端を発した、中国民衆の反帝反封建運動。ヴェルサイユ講和会議において日本の山東利権を承認していた民国政府の態度を不満として起こり、全国的な大衆運動。
五四文化運動:一九一六~二一年のおよそ五年間、五四運動を中心に展開された中国の文化運動。
封建的な習性と、旧文化に反対して陳独秀、胡適、魯迅らが提唱、半儒教運動、白話運動などを中心に、民主主義と科学精神等を標榜する新文化の樹立、社会の近代化を推進。反封建的性格を持ち五四運動の原動力。(広辞苑より)

④ 現代中国、とりわけ郷村では、依然として伝統的な家庭と家族組織を維持し、中国人は今でもあって家族関係、年長者への服従を重んずる。しかしながら、家庭・社会と国家の構造上の関係は変化している。現代の交通機関、通信、生活によって伝統文化の社会基盤はすでに崩壊している。
現在の法律では男女平等、一夫一妻制、婚姻と離婚の自由を規定し、過去のような密接で互いに頼りあう近隣、同郷、家族の関係は民主化の思潮と都市化の過程の中で徐々に消え去った。そのため、伝統社会の上に樹立された儒家の倫理と国家の学説も、徐々にその基盤を失っていった。

⑤ 清朝末期から、儒家は西洋の民主思想の衝撃を受け、もはや政治イデオロギーの重責を担うことが難しくなり、仏教と道教も西洋科学思想の衝撃の下で「迷信排斥」の巻き添えを食って、徐々に信仰世界から消えていき、多くの宗教行事も、もはや実質的意義を持たなくなった。

⑥ 西洋の東洋進出に伴い、それまでの中国の天下観念と朝貢体制が破壊されただけでなく、中国と世界各国の関係も再構築された。それでも現代中国には依然として「天下中央王朝」のイメージが残存している。許倬雲は「まさに中国中心論のため、数千年来にわたって中国は諸外国と平等な関係を築くことに適応できず、中国人は近代に至ってなおこの種の心理的障壁を乗り越えられずにいるようだ」と述べている。

⑦ 以上のような記述を見ると、中国人のアヘン戦争が象徴する清朝末期の欧州諸国の侵略に対する感情と、日清戦争と日中戦争の二度にわたり中国に侵入した我が国に対する反日感情は次元を異にするものと
思われる。中国人にとって、前者は単なる外敵による侵略であるが、後者は支配下の朝貢国の反乱であるのではないか。
中国の言う歴史認識の根底がそこにあるとすれば、日中国交改善は容易なことでは無い。
最近しばしば耳にする河野談話や村山談話を日本政府が踏襲すると言っても、それで終わるものではないのではないか。

いずれにしても、日中間の歴史認識は棚上げにして経済、文化など人的交流を盛んにし、相互認識を深めることによって不測の事態を回避する努力が肝要では無いかと思われる。

(平成二十六年十一月二十五日)

 

ramtha / 2015年5月5日