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「入社式」

今朝の毎日新聞の筑豊版に(株)麻生の入社式の記事が写真入りで記載されていた。

そうだ、昨日は四月一日、新年度開始の日で全国各地で入社式が行われ、多くの新しい人生がスタートした日だったのだ。

記事によると(株)麻生の入社式は、飯塚市新立岩のプレジデントホテルで行われ一四五人の新入社員が参列。麻生巌社長の訓示や、新入社員代表の宣誓などが行われたとある。
昭和三十三年四月、最初の入社式を立案企画した身としては、格別感慨深いものがある

私自身は、麻生の給費生として大学在学中、学徒出陣で軍務に服務、昭和十九年九月、大学は繰り上げ卒業となり、昭和二十年一月一日付で会社の採用辞令が、留守宅に送られて来ていた。

実際に入社したのは終戦後の昭和二十年十月半ばであったが、麻生本社に出頭して吉鹿文書課長に復員の報告をし、重役室で辞令を拝受しただけで、入社式のようなセレモニーはなかった。しかし初めて社会人となった若造の私は、別段奇異に感じることもなく、その日のうちに配置先の上三緒炭鉱へ赴任した。

昭和三十二年十一月、本社労務課から文書課に転勤したときは、翌年春に採用する学卒社員の銓衡内定は終わっていた。そこで翌年四月一日の入社式はどうするのだろうと古参課員の広津女史に尋ねたら、新入社員は重役室で辞令を交付するだけで、別に儀式めいた事はしないという。

当時日本経済は高度成長期に差しかかろうという時代で、一流各社では、技術系へ大卒者には支度金を支給するなどして、人材確保に鎬(しのぎ)を削っているというのに、入社式もしないとは、あまりにも無策ではないかと思い、入社式をすることを提案した。

しかし原田課長の反応は無く、しつこく提案すると、重役方の意向を伺ってはと言われるだけであった。翌日重役会議の席で提案説明したが、皆さん社長の意向を図りかねてのことか、どなたも賛成されない。結局吉鹿常務の「明日社長にお伺いしては」という一言でその日は片付けられた。

一介の文書課長代理が直接社長に決済を仰ぐというのは前例のないことで、痛く緊張したことであったが結果は社長の快諾を得て一件落着した。

そんな経緯(いきさつ)があっての入社式は私にとっては六十年近く経った今もなお忘れ難い思い出である。

(平成二十七年四月二日)

ramtha / 2015年7月9日