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「『日本語教のすすめ』を読んで」

退屈しのぎに「日本語教のすすめ」(鈴木孝夫著、平成二十一年出版)を繙いてみたが、いろいろと教えられることが多かった。そこでその中の幾つかを忘れないように書き留めることにした。

① 日本語は大大言語

いま世界は六十七億を超える人類が六千種もの異なった言語を用いていると考えられるが、使用する人の数が一億を超える大言語は十前後しかない。人口が一億二千万の日本はこの数が日本語使用者数と言えるから、日本語は世界の六千種もある言語の中でなんと上位十番前後の大大言語の一つである。

② なぜ二重読みが生まれたか

古代、日本と同様に中国の漢字の影響受けた朝鮮、ベトナム、チベット、西夏といった国々では日本の訓にあたるものは生まれなかった。どうして日本だけに訓読みが生まれたのか。

それは日本が古代中国の朝貢国の一つでありながら、中国と地続きでない唯一の国であったため、中国王朝の直接支配を受けなくて済んだことによる。

ある国が外国によって長期にわたって征服支配されると、当然この国の運営は外来の支配者により、彼らの言語で行われるため、この制服支配層と常に接触交流して仕事をする必要のある被支配国の要人や指導者たちは、支配者の言語を実際に使うことになる。

ところが日本は中国の直接支配下に入らなかったため、国内に中国人は殆どいなかった。そこで日本から随や唐に渡った少数の役人や学者、留学僧などは、現地で中国語を勉強して帰国した。この極めて少数の留学経験者が彼らの持ち帰った中国語の文献や知識を周りの人々に理解させるためには、漢字一つ一つ書いて発音してみせ、その意味を日本語に翻訳した。

だから日本人の頭の中にこの二つの読み方が一つの漢字を媒介者として対応することになった。そしてある場合は中国式の漢字音で発音され、別のところでは日本語、つまり訓で読まれることになった。これが日本だけ音訓二重読みが生じた理由である。

③ 二重読みの利点

日本人の中国語能力は書かれた原典を解読し解釈することが必須となり、会話力は発達しなかったが、もっぱら外国語の文献を読解することを通して、異国の文物を理解し取り入れるという変則的な外国語学習の形は、明治維新に始まる英語を中心とする欧米語教育でも、ほとんどそっくり繰り返された。

日本漢字の二重読みは漢字の知識を広い範囲の日本人に開放する道を開いただけでなく、漢字そのものを、一般の日本人の意識に、固く定着させることとなった。

④ 漢字からなる専門語は分かりやすい

人類学には猿人と言う用語がある。この言葉を初めて耳にした人は、自動車のエンジンのことと間違えるかもしれないが、猿人と言う文字を見れば、「あー、さる・ひとか、猿みたいな人、人みたいな猿だから、大昔の猿に近い人間の祖先のことかな」といった想像は多くの人に可能である。

この例のように難しい専門用語も初めて耳で聞いたときは分からなくても、書いたものを見れば、それが何を意味するのか見当が付けられることになる。

⑤ 一般人には理解しづらい英語の専門語

英語ではこの猿人のことをPithecanthropusと言う。この単語を日本人で知っている人は少ないが、アメリカやイギリスでも、一般の人はこの言葉を耳にしたとき、なんのことかわからないだけでなく、書いたものを見ても皆目見当がつかないことが多い。

英語では難しい専門的な用語の多くは、これまで古代ギリシャ語またはラテン語を組み合わせて作ってきたため、これらの古典語を学んだ知識ある人以外には、日本人のような推測もできない。

英語ではこのように高級語彙の殆どが、一般の人々には、その意味が分からない古典語で組み立てられているため、英米の新聞や雑誌などは、少数のインテリを念頭に置いた高級紙と、一般大衆向けのものとがはっきり分かれている。これに反して、日本では国民の全てを読書とする全国紙がいくつもあるが、これは日本語が社会の上下を区別する必要のない言語のためである。

⑥ 傲岸なヨーロッパ人

ヨーロッパ語を話す白人のキリスト教徒だけが、人類の指導者に相応しい資格を備えているのだという、抜きがたい傲慢な思い込みは、以前ほどあからさまには表明されなくなったが、それでも、そのつもりで注意深く見れば、まだ至る所に残っている。

誰にでもすぐわかる例は、オリンピックで、水泳の平泳ぎ、スキーのジャンプ競技、バレー 、柔道など、日本が勝ち進むと、すぐ欧米主導で日本に不利なようにルールが変更されることである。

そのうえ欧米諸国は、第二次世界大戦で日本には勝ったものの、戦後になってほとんどの国が虎の子だった植民地を、日本が余計なことをしたために、すっかり手放さざるを得なかったという、腹立たしい記憶があるため、日本人によって長年植民地状態から解放された、同じアジア人であるマレーシアの前首相マハティール氏が、国を挙げて「日本に学べ」のスローガンの下に、近代化を進めたようにはいかない。

⑦ 日本人の外国語習得のあり方を顧みると、指導者階級に属する人々だけが外国語の書物を読んで理解し、それを日本語に翻訳することであった。だから外国人と会話することなどは、外国語学習の主目的には含まれていなかった。

⑧ これからは諸外国が、優れた日本の文化や進んだ技術、そして日本人の考えや意見を、日本語の書籍文献を読むことで吸収できるようにすべきで、日本政府はそのための援助をしなければならない。

⑨ 日本は、戦争を国際紛争解決の手段とすることは、絶対にしないと誓ったのだから、外国との対立や摩擦を解消する日本の外交は、言葉による他に道がない。
「言葉こそが捨てた武器に変わる新しい武器だ」とする言語力外交が、日本の生きる唯一の道である。

以上、鈴木孝夫氏の見解には、私は全く賛同する。

前に述べたことがあるが、戦後七十年、中国や韓国から戦争責任を追及され続け、その上河野談話・村山談話など度々謝罪をし経済支援をしてきた。中には日本人としては耐え難い批判もあったが、ひたすら堪え忍んで、有史以来希有の七十年間、銃弾一発も放つことのない平和国家を維持してきた。これは世界に誇るべき貴重な財産である。

洋の東西を問わず、きな臭い雰囲気が漂う中、今こそ日本はこの財産をさらに積み重ね、世界に平和の模範を示すべき時であると思われる。

(平成二十七年五月八日)

ramtha / 2015年8月4日