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「軍事によらない本当の『皇道』」

今朝の毎日新聞の連載評論、保坂正康の「昭和史のかたち」は「軍事によらない本当の『皇道』」と題して、明治人荒尾精の思想を紹介している。

今まで私は荒尾精と言う人物が存在していたことも知らなかったが、一読して教えられることが多かった。また感銘することも少なからずあった。その幾つかを記しておくことにする。

① 荒尾精は名古屋の出身、安政六年生まれ、陸軍士官学校を卒業。連隊勤務の後、明治十八年、参謀本部志那部に転任、清国を何度か視察するうちに、西欧列強の中国侵略に怒りを持ち、軍を離れ、明治二三年には上海に日清貿易研究所(東亜同文書院の前身)を作り、日清貿易に従事する人材を養成した。

② 荒尾は、明治二七~二八年の日清戦争の折、清国に勝ったからといって、領土割譲や過大な賠償金を取るような愚を犯すなと説いた。

③ 近代日本では、軍事的勝利によって領土・賠償をできるだけ多く獲得するのが軍人たちの「御国への奉公」だと教えられていた。日清戦争後の下関条約によって、日本は台湾と遼東半島(後に三国干渉によって還付)を獲得し、さらに当時の邦貨で三億六千万円余の賠償金を獲得した。これは当時の国家歳出額の約二倍に達する。いわば戦争太りになり、日本の軍事力はこの賠償金により一気に拡充して行った。これが昭和軍閥を生む素地となったのである。

④ 日清戦争の講和交渉時に、谷干城・勝海舟は小声で自重を求めたのに対し、荒尾は敢然として世論に抗して自説を曲げず、「領土の割譲を求めるな。賠償要求は抑制せよ。東洋平和を希求する宣戦の大旨を忘れるな」を骨子とする「対清意見」を出版している。しかし彼の意見は政府の取り上げることとはならなかった。

⑤ もし日本が領土の割譲や過大な賠償金を求めていなかったら、その後の日本とアジアはどうなっていたのか。
「日本の陸海軍の強化は行われず、経済的には今日のような繁栄は望めなかったとしても、西欧列強をアジアの地に呼び込んで利権争奪を激しくすることはなかったであろう」と思われる。

⑥ 日清戦争の進行時に勝利を得て行くたびに、国内には賠償要求の声が朝野を上げて高まり、外相の陸奥宗光が著書「蹇蹇録(けんけんろく)で、軍部はもとより、官界、政党、言論界まで興奮し「中庸の説を唱ふば恰も卑怯、未練毫の愛国心なき徒と目せられ」と書いている。

⑦ 荒尾はは明治二九年に三七歳で病死している。その思想も忠告も明治政府に受け入れられなかったが、歴史上にこのような人物が存在した事、そして荒尾のような識見はすでに昭和を予見していたことを保阪氏は確認したと述べている。

これを見て、保阪氏同様、私も荒尾精なる人物の卓見が日の目を見ることなく埋もれてしまった事を残念に思うと同時に、人類の歴史には、このような素晴らしい人物が無数に埋もれているのではないか。歴史はどの程度真実を伝えているのだろうという疑念を改めて感じたことである。

(平成二十七年五月九日)

ramtha / 2015年8月15日