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「シャープのリストラ」

液晶テレビで業界を代表する「シャープ」は今年三月期決算で巨額の赤字に転落、リストラを余儀なくされたというニュースに驚いた。

個々の企業の業績などには常日頃無関心な私は、同社が著名なテレビメーカーであるらしいということを伝聞していたに過ぎず、同社のこれまでの歩みなど全く知らなかった。

今朝の毎日新聞の「余録」にその辺のことについて記載されていたので、記しておく。

東京本所で金属加工業を営んでいた早川徳次氏は一九一五年(大正四年)金属製の繰り出し鉛筆を考案した。「和服に合わない」「金属は冬だと冷たく感じる」と初めは不評だったが、改良を重ねるうちに欧米からも注文が相次ぎ、早川氏は商品名を「シャープペンシル」とした。

その十年後、国産第一号の鉱石ラジオを開発しラジオメーカーとして成長する。ヒット作のシャープペンシルにちなみラジオにも「シャープ]と銘打った。

戦後は日本初のテレビや電子レンジ、世界初のIC電卓を製造し一九七〇年(昭和四五年)に社名を「シャープ」に変える。

「他社が真似するような商品を作れ」という創業者の精神はその後も液晶テレビやカメラ付き携帯電話といった「オンリーワン製品」を生み出した。三重県亀山市の工場で生産した液晶テレビは「亀山モデル」と呼ばれ、高品質の代名詞となる。

そのシャープが二〇一五年三月期決算で二二二三億円の最終赤字に転落した。二二五〇億円の資本支援を受ける代わりに国内で三五〇〇人程度の希望退職を募り、大阪市内の本社を売却する。

「聖域ない抜本改革」とうたう再建計画だが、リストラ策が並び、肝心の液晶事業の生き残り策が見えてこない。「模倣される商品」のDNAを引き継ぎ、創意工夫という原点に回帰できる態勢への立て直しが急がれる。

早川氏は一九二三年(大正十二年)の関東大震災で家族と工場を失うと借金返済のためシャープペンシルの事業を譲渡し、再起の地を大阪に求めてラジオの製作に挑んだ。今月下旬に株主総会を迎える経営陣は社名の通り鮮明な再生ビジョンを示して物作り復興の道を開いてほしい。

この記事を見て、かつてエネルギー革命で斜陽産業に転落した石炭部門のリストラに際して、社員の就職斡旋に奔走した身としては、会社の再建はともかく、突然解雇通告を受け、社会に放り出される人々の途方に暮れた姿が目の前にちらついてならない。

私が苦労した昭和三十年後半は、幸いにして日本経済一般の好景気を背景に、人手不足の時代であったので、私の力不足にもかかわらず、四百名を超す人たちの就職先を見つけることができた。それでもなお、当時の心労は未だに忘れないでいる。

今日では労働者の四割近くが派遣社員と言われているようで、突然失業者に転落した人々のショックは、想像を絶するものであるに違いない。また解雇を通告する人事担当者の悲痛な思いも、身に染みてならない。ひたすら再就職の一日も早からんことを念ずるばかりである。

(平成二十七年六月一日)

ramtha / 2015年11月19日