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「ケチの語源」

このところ2020年開催予定の東京オリンピックのエンブレム(記章・シンボルマーク)が盗作ではないかと言われ、マスコミを賑わしている。今朝の毎日新聞の「余録」では、これを取り上げているが、その中で「ケチがつく」の「ケチ」の語源について解説している。初めて耳にしたので書き留めておく。

今はもっぱら物惜しみする人やみみっちいことを言う「けち」だが、元は「怪事(けじ)」で不吉の前兆、不詳の出来事を表した。いわゆる「けちがつく」の「けち」はこちらで、縁起の悪いことが起こり物事がうまく進まなくなることを言う。

17世紀初頭のポルトガル語による日本語辞典「日葡(にっぽ)辞書」にも「Qechi」とあるから、由緒正しい言葉と言えよう。で、今日のこちらの「怪事」のつき始めは、ベルギーの劇場のロゴとそっくりだと言うクレームだった。
むろん佐野研二郎氏がデザインした2020年東京五輪のエンブレムのことである。(以下略)

「あいつはケチだ」のケチは吝嗇を意味し、ケチがつくのケチは不吉の意味で、両者が意味するところは全く違うのだが、生来大雑把な私はその違いを意識することなく使用していた。

今になって考えてみると、吝嗇のケチには汚いイメージがあり、「ケチがつく」は物事に汚れが付くと無意識のうちに感じていたような気がする。どうしてだろう。

私の子供の頃(昭和初期)に「吝嗇(ケチ)と土壺(どつぼ)は溜まれば溜まるほど汚くなる」と言う俗諺(卑俗なことわざ)があった。当世の人のために解釈すると、「ケチな金持ちと土壺(糞尿瓶)は溜まれば溜まるほどますます汚くなる」という意味である。

昔のトイレはほとんどが汲み取り式で、汲み取られた糞尿の大半は、田畑の肥料にするために、田んぼの片隅に設置された瓶(かめ)に蓄えられていた。糞尿はもともと汚いものだから、多くなればなるほど汚くなる。

同様に吝嗇家の金持ちは金を貯めれば貯めるほどにケチになるところから「ケチがつく」ことを汚れがつくとイメージしていたのだと思われる。私たちは、これと同様に多くの言葉をその語源を意識することなく使用しているに違いない。

(平成二十七年九月二日)

ramtha / 2016年1月25日