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「日本の韓国統治の真実」

近年、中国・韓国の反日感情がマスコミで取り上げられ、これに対する日本人の中国・韓国に対する感情も悪化していると伝えられている。ことに博多~釜山を結ぶフェリーは利用客の減少の為、先頃一時休止したとも聞いている。韓国は日本に最も近い隣国で、日米韓三国同盟の仲間であるのにどうしてだろう。軍事力増強著しい中国に対する国防の上からも、気にかかるところである。

そんなことを考えている時、元外交官の馬渕睦夫氏の著書「反日中韓を操るのは、実は同盟国アメリカだった」の中で、日韓関係についての解説に出会った。
日頃自分の頭の中で、モヤモヤしていたことの原因を悟らされたり、初めて教えられることなどがあった。
いささか長くはなるが、日韓関係の底に横たわる問題について著者の解説を私なりに整理して記すことにする。

(1)日本は朝鮮半島を植民地支配していない

学校では日本が韓国を併合し、植民地支配をしたと教えられています。しかし、これは大きな間違いです。悪名高い一九九五年の村山談話で、日本は植民地支配をしたと述べられていますが、完全な認識の間違いであり、事実ではありません。日本はどの国に対しても植民地支配をしていません。その点が正しく理解されていないことに、日韓問題の原因があります。

まず、植民地支配とは何かを知るべきです。植民地支配は英語で「コロナイゼーション」と言います。植民地支配とは、文明の劣ったところに行って収奪・搾取するものです。現地を繁栄させると言う考え方はそこにはありません。

日本が朝鮮でした事は「アネクゼーション」であり、併合です。本来は合併が望ましい姿だったのでしょうが、当時の国力があまりにも違いすぎたため、併合になったのは、やむを得ないことだったと思います。

これは植民地支配とは違い、併合された地域と人々が繁栄するようにして、一つの国として運営することです。
ヨーロッパの帝国主義国がアジア、アフリカでした事はまさしくコロナイゼーションであり、植民地の人間を使役して搾取しました。

日本は帝国主義時代にあっても、唯一、帝国主義的な政策をとらなかった国です。朝鮮にしても台湾にしても植民地支配でなかったことが、現地を栄えさせようとしたことからも明らかです。日本が韓国を併合した期間に、現地の経済、教育、人口がいかに発展したかは数字でも説明がつきます。日本は持ち出してまで資本を投下し、収支は赤字でした。

例えば人口は980万人から2500万人に増加しました。平均寿命は24歳から48歳と日本人並みになりました。この間、年平均4%の経済成長率を記録しました。

ここでは植民地支配と併合統治の違いを認識することが、いかに大事なことかを教えられた。日本以外では、現地を反映させる併合統治の考え方は皆無の為、日本の朝鮮半島併合統治も「植民地支配」という表現に一括りにされ、誤解のもととなったと思われる。

また、古来日本では大陸からいろいろな人が渡来してきたが、この人たちを在来の人々と区別することなく受け入れて同化している。
昭和14年、朝鮮人の姓名を日本式姓名に変える「創氏改名」を行っているが、日本政府としては、日常生活で人種差別を無くすことを意図してのことであったと思われる。名前を変えさせられる韓国人としては、不愉快なことであっただろう。今にして思えば、日本政府の配慮不足であったと言われても仕方ないが、その発意は善意にあったものと考えられる

(2)教育を充実し強制的な徴兵はしていない

中でも特筆すべきは学校教育です。韓国を保護国化した際には、たった5校に過ぎなかった小学校は、1943年(昭和18年)には、約4,300校とすべての村に設立されました。また、朝鮮人の志願兵制度は1938年(昭和13年)に導入されましたが、その年は志願者3,000人に対して合格者は406人で、7倍の競争率でした。1944年(昭和19年)の徴兵制施行の前年の志願者は約30万人、合格者は6,300人と50倍という競争率だったのです。

なお徴兵制実施によって徴兵された朝鮮人のほとんどは、実戦経験することなく終戦を迎えました。靖国神社には朝鮮人兵士三万柱が祀(まつ)られています。

日本は朝鮮をやむを得ず併合をしたときに、朝鮮を繁栄させなければならないと考えました。日本は朝鮮の村々に小学校を作り、そこでハングル語を教え、国民の教育レベルの底上げを図りました。また高等教育機関として帝国大学までつくっています。朝鮮につくった京城帝国大学(現ソウル大学)と台湾に作った台北帝国大学(現台湾大学)は大阪帝国大学や名古屋帝国大学よりも先につくっているのです。搾取するつもりであれば、そんなことをする必要はありません。仮に反抗心を抑える目的だったとしたらそこまでやる必要はなく、生かさぬよう殺さぬようやる方法はいくらでもあります。
(注)
京城帝国大学:1924年(大正13年)設立
台北帝国大学:1928年(昭和3年)設立
大阪帝国大学:1931年(昭和6年)設立
名古屋帝国大学:1939年(昭和14年)設立

教育の普及は現地人の民族意識を目覚めさせる一面もありますから、日本の統治をやりやすくするために教育を振興したのではありません。ひとえに現地を栄えさせるためにやっていたのです。

朝鮮半島にこれだけの小学校作ったとは、これを読むまで全く知らなかった。そして日本語ではなくハングルを教えることとしたのは、朝鮮語による日常生活に役立てることを目的としたもので、現地での生活の便宜を第一としたことが窺われる。

朝鮮人・台湾人の高等教育については、私が旧制福岡高校在学中、一年上のクラスには金某と言う朝鮮出身の学生が、また同年次の隣のクラスには、田某なる台湾出身の学生がいた。金某は朝鮮貴族の末裔とかで気位が高く、あまり良い印象は残っていない。フランス語のクラスの田君とは親友の岡崎敬君(後年九大考古学教授)を通じて知り合い、一緒に中洲の飲み屋の暖簾を潜ったりしたこともあった。

昭和19年11月、朝鮮人・台湾人にも徴兵制度を導入しているが、この時徴兵された人々は戦線に赴くことなく終戦を迎えている。それ以前はすべて志願兵募集に応募した者の中から選抜されたもので、強制従軍の事実はない。このことも今では誤解されたままとなっていることが多いようである。

(3)欧米式の分断統治はしなかった

欧米の植民地支配のやり方は、いわゆるディバイド・アンド・ルール、つまり分断統治です。被支配者を分断することで相互に牽制させて、支配者に不満の矛先が向かうのを抑える方法です。
イギリスの植民地では、現地の少数民族を使って多数民族を抑えるやり方がとられています。例えばミャンマーでは少数民族のカレン族やインド人や華僑などの外国人を使って、多数のビルマ族を支配させました。カレン族はそれまで差別されていましたが、宗主国イギリスの意を受けてビルマ族を支配しました。

戦後はイギリスが手を引いたため、カレン族は再びビルマ族から虐げられています。これに対して、イギリスやアメリカは「少数民族の人権を守れ」と主張していますが、もともとカレン族を使ってビルマ族を支配させて対立を煽ったため起こったことなのです。こうした現地人を対立させるやり方が、欧米の「ディバイド・アンド・ルール」による植民地支配です。

仮に日本が朝鮮を植民地支配していたのだとしたら、「ディバイド・アンド・ルール」の方法をとったはずです。日本人が朝鮮人を直接管理するのではなく、例えば中国人を連れてきて、中国人を中間管理職のような立場に置いて朝鮮人を支配させたでしょう。そうすれば朝鮮人が強い不満を抱いたとしても、その矛先は中間管理職の中国人に向きます。これが植民地支配のやり方です。

しかし日本はそのようなやり方をしていません。朝鮮における警察官のほとんどは朝鮮人でした。朝鮮人に治安維持を任せていたため、治安が乱れませんでした。散発的に共産主義者がサボタージュをしたり、一部の人たちが三・一事件(1999年3月1日に独立宣言と称して「独立万歳」を叫んだ民衆デモ)を起こしたりしましたが、朝鮮人の多数派にはなりませんでした。

一言で言えば、日本は「善政」を敷いていたのです。欧米の帝国主義の人たちには、この日本のやり方が全く理解できなかったでしょう。彼らの概念に無理矢理当てはめて「日本は植民地支配をした」と誤解したのです。欧米の見方は完全に間違っています。もちろん韓国の主張も間違っています。日本は植民地支配などしていません。

日本人の異民族に対する処遇は、自分たち仲間と同様に接する仕方で、言うなれば同和の精神に基づくものと言えよう。(もっとも今日では同和と言うと部落解放運動と誤解される恐れがあるが)
大昔から日本には多くの人々が大陸から渡来し、今日の日本国民の中に、その子孫がどれほどいるか分からない。かく言う私も父方の祖先は北海道出身でアイムの血を、母親は南九州で熊襲(くまそ)の血を受けているのではと思っている。ことほど左様に日本では種々雑多な民族が、混血同化して今日の日本人となっている。渡来人を抵抗なく受け入れる同和の心が日本人のDNAとなっているのかも知れない。

また、別の観点からすると、日本列島の東は果てしない太平洋が広がり、大陸から移動してきた人々も日本を終着点とするしかなかったに違いない。
日本は大陸文化の吹き溜まりで、人々は日本を終の棲家(ついのすみか)として、多少の行き違いがあっても、それは水に流して、お互い仲良く暮らすほかなかったと言うことではなかろうか。

(4)半日は韓国人の歴史的体質

戦後70年も経っているのに、韓国がこれほど執拗に反日攻勢を続けてくるのはアメリカが韓国世論を操作している面があるのですが、それは置くとして、韓国人自身が自分たちの心の中に矛盾を抱えていることが大きいのだろうと思います。

日本は韓国に対して「善政」を行い、当時の韓国人はそれを受け入れました。そこが彼らにとって許せないのでしょう。日本のことを許せないと思う気持ちの裏側には、自分たちの不甲斐なさが許せないと言う気持ちがあるはずです。

もし日本がイギリスやフランスと同じように住民を徹底的に搾取していれば、今日のような反日にはならなかったでしょう。「我々は帝国主義の犠牲者だったんだ」ということで、気持ちの上でケリをつけることができたはずです。日本に対して賠償の請求をしたでしょうが、一回条約を結べばそれで済んだ話です。

ところが、日本が善政を敷いたがゆえに彼らは受け入れてしまった。そこが心理的に耐えられないのだろうと言うのが私の解釈です。
過去にいったん受け入れたことを否定するには、強硬になるしかありません。韓国人は自分たちの先祖が日本を受け入れてしまったことを否定するためにも、強硬に反日を続けるしかないのです。

彼らは日本が力で韓国を併合したと主張しますが、もしそうだとしたら、その時韓国人は何をしていたのでしょう。なぜ韓国の民衆は抵抗しなかったのでしょうか。それを問えば、彼らには答えはありません。その点は隠して、ひたすら「日本は悪い」と反日を叫んでいます。
私は日本のした事は善政だったと韓国人に対して言うつもりはありません。それを言ってしまうと、彼らは耐えられない心境になります。その気持ちは理解できますし、言ったところで彼らは認めることができず、逆効果しかならないでしょう。
しかし事実は事実として、日本人はこのことを知っておくべきです。

朴槿恵大統領の父親の朴正熙(ボクチョンヒ)元大統領は、日本の陸軍士官学校を優秀な成績で卒業していますが、回想録で日本の統治は概ね公平だったと言っています。さらにアメリカ人学者(ジョージ・アキタとブランドン・パーマー)の共著「日本の朝鮮統治を検証する」においても、日本の朝鮮統治は「九分通り公平」だったと結論づけています。
正しい歴史を知っておれば、相手が何を言おうといちいち腹を立てないで平然としておられます。

著者はこの本では取り上げていないが、過去に遡れば、日本にとって朝鮮は中国文明を教え伝えてくれた先達(せんだつ)であった。明治維新を境にして日本は西欧文明を積極的に吸収し急速に近代化した。その間韓国では西欧文明を忌避し停滞をしているうちに、日本に追い抜かれてしまった。

しかし、かつての先輩としてのプライドは忘れられず、昔の教え子であった日本ごときが大きな面(つら)をするなと言う気持ちが心の底にあり、今日の反日感情となっているのではないかと考えられる。もしそうだとすると、日韓両国の国力が逆転しない限り、韓国人の反日感情はなくならないに違いない。

(5)独立の歴史を持たない韓国

清王朝は朝鮮を自分たちの属国だと考えていました。朝鮮の側も清王朝が宗主国だと思っていました。そこに南下してきたのがロシアです。ロシアの南下によって、朝鮮半島が不安定化していきました。

日本としては朝鮮が安定しないと自国の安全が保たれませんので、朝鮮の近代化を進めて朝鮮を独立させたいと考えていました。日本の「征韓論」と言うのは朝鮮語征伐しようというものではなく、朝鮮を開国させようとするものでした。ところが朝鮮は全くそれに応じません。朝鮮は清国を宗主国とする小中華ですから、独立などという事は考えたこともなかったのです。清国と朝鮮の関係に日本が入り込んでくるのはけしからん、というのが李氏朝鮮の考え方でした。

日本政府は、日本、清国、朝鮮が共に近代化して欧米の帝国主義に対抗すべきだと考えていましたが、朝鮮は自国の近代化も文明開化も全く考えていませんでした。朝鮮の近代化と独立を考えていた福沢諭吉も、最終的には悪友とは付き合い切れないとして、脱亜論に到りました。清国も朝鮮も文明開化できる状態になかったのです。そこが日本にとって、ある意味悲劇だったと思います。

日清戦争で日本が勝利したことで、日本は朝鮮の独立を清国に認めさせました。しかし李氏朝鮮は清国の属国であるという意識が染み付いており、独立心が全くありませんでした。
ある時は清国になびき、ある時はロシアになびき、あるときは日本に秋波を送る。今日朴槿恵大統領が告げ口外交をして、いろいろな国に擦り寄っているのと似た状態でした。当時の東アジア情勢を見て、朝鮮外交の不道徳さは由々しき状態であると言ったのは米国です。

朝鮮半島がこの状態では東アジアは安定しませんから、日本は朝鮮をまず保護国にして、その後に併合するという方針を取りました。日本の方針に対してどの国も反対しませんでした。各国は、腹の底では「朝鮮の事で日本は苦労するだろう」と思っていたのだろうと思います。

韓国と中国とは、昔から属国と宗主国との関係が続いてきたと聞いている。確かに大国中国と地続きに隣接する韓国としては避けられないことであったと思われる。
しかし、中国四千年の歴史は、日本のような万世一系の王朝が続いていたと言うわけではない。私の記憶にあるものをあげるだけでも、古くは夏・殷・周・秦・前漢・後漢など、近くは隋・唐・元・明・清など多くの王朝が興亡を繰り返している。この中で元はモンゴル族、清は満洲族で漢民族ではない。このほか五胡十六国と言われた時代でも周辺の異民族が侵入し漢民族を支配している。

にもかかわらず、中国と韓国の関係には変化はなかったようである。どうしてだろう。

宗主国に出向き、跪(ひざまづ)いて拝礼することは、その度に屈辱感を味わうことであったに違いない。それでもなお欠かさず続けたのは、中国への恐怖感がトラウマとなっていたと言うことではあるまいか。とすれば、その恐怖感は今日なお消えていないに違いない。

屈辱感は恨みとなっていつまでも残るもので、朝鮮人が「恨(はん)の民族」と言われるのも、この歴史によるもので、その心の真髄はわれわれ日本人には、永久に分かり得ないことだろう。

(平成二十七年九月二十五日)

ramtha / 2016年2月6日