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「氷柱(つらら)」

先頃、新聞の広告欄で見つけて購入した「滅びゆく日本の方言」(佐藤亮一著)を広げてみた。私の知らないことばかりで、時の経つのも忘れ、つい読み耽ってしまった。その一つ『氷柱(つらら)』を書き止めることとする。

「つらら」の方言は非常に多い。その中で、タルヒ、ボーダレ、カネコーリ、ツララと言う4種類の言葉が「周圏分布」を形成している。これらは、いずれも京都付近で生まれた言葉で、中で最も古いと考えられるのはタルヒである。これは「垂氷」(氷が垂れる)という意味であり、「秋田・岩手・宮城」「北陸」「佐賀・長崎」の3地域に分かれて分布している。

ただし、秋田北部はタルヒの変形であるタロッペ、タロンベであり、北陸はタルキやタンタルキ、佐賀・長崎はタロミが多い。タロミの「み」は「水」かもしれない。

タルヒの次に古いと考えられるのは、タルヒの内側(山形県内陸地方と能登半島)に分布している「ボーダレ」である。つららの形状からの命名で「垂れている棒」という意味であろう。山形ではボンダラに変化している。

ボーダレに似た言葉に、熊本県と滋賀県で使われているホダレ・ホダラがある。これもボーダレと関係があるのかもしれない。しかしホダレは「氷垂(ひだ)れ」の変化の可能性もある。

ボーダレの次に古いと考えられるのは、カネコーリである、カネコーリは新潟から富山・岐阜北部にかけての広い地域に分布し、中国地方の一部と宮崎の一部にも見られる。

「つらら」を意味する言葉で最も新しいのは、近畿地方を中心として本州中央部に広く分布するツララである。すなわちツララは「西日本生まれの共通語」なのである。

東京を含む関東地方一帯と山梨・長野の一部では、アメンボ-と言っている。これは「雨の棒」の変化であろう。

平安時代の京都では「つらら」(氷柱)を「たるひ」と言っていた。そして当時の「つらら」は「水面に張りつめる氷」の意味であった。
『源氏物語』の「末摘花(すえつむはな)」の巻には「朝日さす軒のたるひは解けながら、などかつららの結ぼほるらむ」(朝日がさしている軒のつららは解けているのに、どうして池には氷が張っているのだろうか)という歌が載っている。「水面の氷」の意味であった「つらら」が、「軒先に下がる氷の棒」の意味に変化し、それに伴って、それまで使われていた「たるひ」は京都から追いやられ、地方の方言となったわけである。

九州北部では、モーガンコ、マガンコである。これは農作業に使う「馬鍬(まぐわ)」(馬にひかせる鍬)と形が似ていることからの命名と考えられる。

大分県東部ではヨーラクと言っている。これは漢語の「瓔珞(ヨウラク)」に由来する。「瓔珞」のもとの意味は「宝石を連ねて編んだ首飾り」の事である。

また、島根県西部ではナンリョーと言っている。これも漢語「南鐐(ナンリョウ)」(美しい銀、または銀貨)に由来する。ヨーラクもナンリョウもつららの美しさを賛美した表現である。なぜ、このような難しい漢語が民衆の話し言葉になるのだろうか。おそらく、首飾りを意味する瓔珞や南鐐は、仏像の飾り物と関係があるのではないかと思われる。つまり、仏像を通して民衆の言葉になったのである。

鹿児島、愛媛、静岡、茨城などの海岸地域に見られる、ビードロは、ポルトガル語でガラスの意味である(ちなみに「ビー玉」のビーは「ビードロ玉」の縮約形)。
日本では、西洋から渡来したガラス製品をビードロと呼んだが、朝日にきらめくつららが幻夢的なガラス細工を連想させたのであろう。「つらら」を意味するビードロが鹿児島から茨城に至るまでの海岸地域に分布していることは、言語の海上伝播を示唆していて興味深い。

ビードロの呼称は鹿児島県に多い。これは江戸時代に薩摩藩がガラス(ビードロ)をいち早く製造したことと関係があると思われる。(現在でも薩摩切り子が製造されている)

青森・秋田・山形では、スガ、スガマ、スガンボーが勢力を持っている。この地方では「氷」もスガ、スガマであり、「つらら」と「氷」を区別せずに同じ表現で呼ぶ傾向がある。

宮崎の一部に見られるカナマラ、静岡に多いチンポーゴーリ、栃木・福島のサガリンボーなどは素朴な命名と言えよう。

江戸時代半ばに越谷吾山という俳諧師が『物類称呼』(1775年)という全国方言辞典を刊行している。この辞典の「つらら」の項目の記載は以下の通りである。
(方言形については原典のひらがなを片仮名になおして示した)

氷柱 つらら たるひ
越後にてカナ氷と云。奥の津軽にてシガマといふ。同南部にて堕氷(だへう)と云。仙台にてタルヒという云。会津及信州辺にてスゴホリという。西国(九州)及近江辺にてホダレと云。下総にてトロロウといふ。下野にてボウガネと云。伊勢白子にてカナゴと云。出羽最上にてボンダラと云。

この分布状況は、明治生まれの人を調査した『日本言語地図』の分布とほとんど同じである。つまり、江戸時代から明治時代にかけて、日本の方言は大きく変化していないことになる。

なお、「つらら」「たるひ」を見出し語にしていることから、当時はこの二つを標準語形と意識していたことが分かる。

地球温暖化などと言われるようになって何年位なるだろう。近頃は、我が家の軒先に下がる氷柱も見なくなった。思い起こせば、昭和三七年暮れから翌年にかけては飯塚でも珍しい大雪に見舞われ、麻生本社前の社宅の軒先にも氷柱が何本も下がっていた。北側の庭には三月末まで雪が残り、その後しばらくは「三八豪雪」と言われたこともあった。

久しぶりに思い出した「つらら」だが、こんなに沢山方言があるとは知らなかった。著者は前東京女子大教授で国立国語研究所名誉所員とのことで、その道の専門家だから該博な知識を持っておられることだろうが、それにしても、こうした研究は全国隈なく踏査されての成果で、居ながらにして楽しませていただく老骨は、ただただ敬服感謝のほかはない。
なお私の理解に苦しむ点について書き留めて、諸賢の教えを賜りたいと思っている。

① 「平安時代のつららは『水面に張り詰める氷』の意味であった」とあるが、その当時から、つらは物の表面を意味していたのではないか。広辞苑の面「面・頬」の項には、神代紀の「跳りて其の面を齧(く)ふ」を例文として掲げている。そのつら(水面)から、水面に張る氷を「つらら」と呼ぶようになったのではなかろうか。

② 九州北部の方言、モーガンコ、マガンコは農作業に使う「馬鍬」と形が似ているからの命名と考えられているとあるが、馬鍬の形と言うのはよく分からない。

広辞苑の【馬鍬】の項には、「農具の一種。長さ約一メートルの横木に約二〇センチの鉄製の歯十本内外を植え、これに鳥居形の柄をつけたもの。牛馬に引かせて土を砕いたりならしたりするのに用いる」とある。

横木に植え付けた十本ばかりの歯に、つららの軒先に並んで下がる姿が似ていると言うのか、どうもよく分からない。

(平成二十七年十二月十四日)

ramtha / 2016年3月20日