筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

「ほいと」と「かんじん」

「滅びゆく日本の方言」を眺めていると、長い間忘れていた言葉に出会い、昔懐かしさについ読み耽ってしまう。今日もその中の一つを拾い上げてみる。

ものもらい(麦粒腫)は、まぶたのへりにできる小さなできもので、むずむずしてかゆいが一週間位で治る。昔はしばしば経験したが、今は衛生状態が良くなりあまりかからなくなった。

この眼病に関しては、「三軒の家から米をもらって食べると治る」(福島県白河郡)「ざるを持って隣近所五軒から穀物をもらって歩くと治る」(神奈川県箱根町)のような俗信が、各地に見られる。モノモライと言う名称はこの俗信に由来するものであり、全国に広く分布するメボイトやホイト、長野・岐阜・静岡などにも見られるメコジキ、熊本県天草の(メ)カンジンなども、ものをもらって歩く乞食行為と関係がある。

ホイトは「陪堂(ほいとう)」に由来する。「陪堂」とは「禅宗で僧堂の外で食事のもてなし(陪食)受けること」であるが、それが乞食を意味する方言として全国的に使われている。

「かんじん(勧進)」は「社寺や仏像の建立・修理のために寄付を集めること」であるが、これも九州他の地域では乞食の意味になっている。「乞食(こつじき)」も本来は托鉢を意味する仏教用語である。

大阪を中心に見られるメバチコや新潟のメッバチの語源は不明であるが、「目をパチパチさせる」という意味かもしれない。しかし、托鉢(たくはつ)の「鉢」との関係も考えられる。そうであるとすれば、これも乞食行為と結びつくものである。メバチコの両側の地域(京都・滋賀と四国にはメボやメイボが分布する。メボはメボイトの下略形。

メイボは「ものもらい」を「いぼ」の一種と意識した「民衆語源」によってメイボが変化した語形と考えられる。

青森にはヨノメ、ヨメが、青森と岩手にはノメ、ノンメが分布する。ヨノメは足の裏等に出来る「魚の目」と関係があるかもしれない。ノメはヨノメの省略形であろう。

栃木・群馬に分布するメカ(イ)ゴは「目の粗いかご」を意味する「目かご」のことで、「ざるをかぶると、ものもらいができる」「ざるを井戸に半分見せると治る」などの俗信との関係がある。

ものもらいの治療法に関する俗信は多様である。愛媛県内子町では、小豆を目に付けて「メイボメイボ、コノアズキニウツレ」と唱えながら井戸に落とすと治ると言う。小豆を使うまじないは、全国各地に見られる(鳥谷善史による)

九州北部でインノクソとオヒメサンが同じ地域で使われている。インノクソは「犬の糞」と言う意味であるが、これらは宮城県に見られるバカと同じく「忌み言葉(タブー)」である。

鹿児島県のインモライ、イモライ、沖縄のミーインデー、インヌヤーの「イン」も「犬」ではないかと思われる。

ものもらいと言う言葉は耳にしていたが、私自身はメイボを使っていたように記憶している。しかし、同じ意味にホイトやカンジンが使われていたとは知らなかった。

子供の頃、ホイトは乞食の意味でもっぱら使われていたが、「陪堂」などと言う難しい漢字があるなど今まで知らなかった。一度は習って忘れたのかと思って諸橋先生の「新漢和辞典」の「陪」を訪ねてみたが、目上の人と同席する意味の「陪席(ばいせき)」などが掲載されているものの、陪堂(ホイト)は無い。次に白河先生の「字統」を調べてみる。こちらでも「陪」の音は、バイ、ハイで、「かさねる・そえる・たすける」を意味するとあるが、ホイトの意に関連するとは書いてなく、それ以上の事は分からなかった。

またカンジンについては、熊本県南部の民謡「五木の子守唄」の歌詞に「♪おどま かんじんかんじん あん人たちゃ良かし 良かし良か帯 良か着物(きもん)・・・」とあることから、私は「かんじん」は貧乏人のことで「寒人」と書くものと思い込んでいたが、あの「かんじん」の語源はここに示された「勧進」であるに違いないと思い至った。新漢和辞典には「貧しい村」を意味する「寒村」はあるが「寒人」と言う語はない。
なお「あん人たちゃ良かし」の「良かし」のもとは、「良か衆(しゅ)」ではあるまいか。

広辞苑の「しゅ【衆】」の項に
「しゅう(衆)。天草伊曾保『女房衆』とある。また「しゅう【衆】」のところには「(呉音はシュ)①多くの人。人数の多いこと。大勢。②所衆(ところのしゅう)の略。③他の語の下に添えて、それに該当する複数の人に軽い敬意や親愛の情を表す語。古くは単数にも使った。『若い衆』」とある。

「神輿(みこし)を担ぐ男衆(おとこし)」などという言葉は夏祭りの記事には欠かせないが、この「おことし」は男衆(おとこしゅ)の省略形に違いない。

なお、「あん人たちゃ良かし」の「あん人たち」は「あの人たち」で、歌を歌っている子守娘が、日頃羨ましげに眺めている裕福な女たちであろう。

「ものもらい」からは、すっかり脱線してしまったが、方言は昔のさまざまな風景を思い出させてくれる。

(平成二十七年十二月二十日)

ramtha / 2016年3月26日