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「救世軍」

新聞を片付けていたら十二月二一日の毎日新聞の「余録」が目に止まった。すっかり忘れていた「救世軍」の文字を見つけ、懐かしさのあまり、転記して残すことにした。

社会鍋といえば、たすき掛けの制帽・制服にラッパ、そして三脚につるされた鉄鍋だ。時間を巻き戻したような佇まいが、なぜか年末の街にはよく似合う。百年を越す伝統の力だろう。
「だいたんに銀一片を社会鍋」(飯田蛇笏)。俳句の季語にもなる救世軍の社会鍋は、1894年に米国で失業者の救済目的に生まれたクリスマスケトルを祖先に持つ。日本では明治末期に「年越し雑煮」の鍋として、街頭募金が始まり「集金鍋」「慈善鍋」の呼び名を経て1921年(大正10年)から「社会鍋」に落ち着いた。

「社会鍋にご協力ください」。84歳の添田信義さんは先週も東京銀座の松屋前に立った。活動歴は終戦直後から70年に及ぶ。低音域の重い管楽器を吹いてきたが、5年前に足を骨折して自分で運べなくなった。「廊下で倒れてね。廊下現象だよ」と陽気に語る。

生活困窮者を直接支援する社会鍋は東京だけで11カ所、全国40カ所以上に広がる。ただ、近頃は素性の怪しい募金団体が現れて、とばっちりを受けたりもする。東京新宿駅の西口地下では「苦情が来るので救世軍だけを特別扱いはできない」と活動許可が降りなくなった。

寄付文化の層が厚くはない日本だが、ふるさと納税はうなぎ登りだ。高価な返礼品がもらえて税金も安くなると言うので、今年は昨年の4倍近くに額が膨らむらしい。「お得感」ばかりが伝わると、老舗の社会鍋は分が悪い。銀座で1万円札を小さく畳んで鍋に入れる年配の女性がいた。名前が紹介されるわけではない。税金の控除もない。見返りとは無縁の心が鍋を温める。

あれは私が小学校に上がる前の事だから、昭和二年の暮れだったろうか、病弱な私は腹を壊して八幡市中央区の松見病院に入院していた。病院のベットに伏せていると、物悲しいラッパの音が聞こえてきた。なんだろうと思っていたら、付き添いの母が「救世軍だよ。貧しい人へのお金を集めているのよ」と教えてくれた。

「救世軍」と言うから、私は軍隊かと思ったが「あれはクリスチャンだよ」と教えられた。それが「救世軍」との初めての出会いであった。その後何度か木枯らしの吹く街角で見かけ、俳句の季題になってるとは知らなかったが、歳末の風物詩として心に残っていた。しかし日中戦争が始まってからは見かけなかったような気がする。戦時体制下では許されなかったのか、それはわからない。その後「救世軍」の姿は見かけなくなったが、この「余録」によれば、まだ全国に四十カ所以上あるようだ。

終戦後は昭和二二年以来、社会福祉法人の共同募金会が行う「赤い羽根」に取って代わられたと言うことではあるまいか、飯塚の片田舎では耳にすることもない。

なお、素性の怪しい募金団体まで登場するとは「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」が横行する昨今の世相にしても嘆かわしいかぎりである。

最近の新聞市場では「子どもの貧困」「シングルマザーの生活苦」などが目に付くが、七十年も平和の続く国で、どうしてこんなことになるのだろう。年の瀬のかき入れ時でみんな忙しいことだろうが、ちょっと手を休めて世間を眺めてみてはどうだろう。

(平成二十七年十二月二十四日)

ramtha / 2016年4月3日