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二月二八日 「インドのカーストについて」

今日の毎日新聞には「有力カーストも優遇へ」という見出しでインドのカーストに関する次のようなニュースを載せている。

インド北部ハリヤナ州で今月、公務員の採用などで低カーストを優遇する「留保制度」の適用を求める比較的裕福な有力カーストのデモ隊が治安部隊と衝突し、地元メディアによると、少なくとも十九人が死亡した。州政府が要求を認めたため、二三日にデモはほぼ収束したが、州政府の決定に対して「留保制度の意味が失われた」との批判も出ている。

ハリヤナ州ゴハナでは外出禁止令が解かれた二三日、多くの住民が暴徒化したデモ参加者に放火された商店の片付けを行な。ていた。「商品は全て持って行かれた。百万ルピー(約一六〇〇万円)の損失だ」。携帯電話販売店のゴーラブさん(二四)は肩を落とした。

住民によると、ゴハナでは二十日、銃や刀で武装したデモ隊が商店街を襲撃し、強奪や放火を繰り返した。暴動を目撃したジャーム・メヘター(五八)さんは「狙いは初めから強奪だったんだ」と声を荒らげた。

デモを起こしたのは「ジャート」と呼ばれる農業者中心の有力カースト。比較的裕福とされ、人口が多いため政治的発言力も強い。デモでは、政府の低カースト優遇策を「逆差別だ」として自分たちにも制度を適用するよう要求。幹線道路や鉄道を封鎖し、用水路の給水施設を破壊した。

ハリヤナ州政府は二三日までにジャートも優遇策の対象とする方針を決定。州議会で新法を制定すると明らかにした。だが、有力カーストであるジャートを優遇することで、他カーストの反発を呼ぶ可能性がある。被差別カーストの支援を行なっている人権活動家、マノージークマール・シンさん(四十)は「有力カーストが留保制度を食い物にしている。これでは制度の意味がない」と批判した。

【留保制度】=出自によって序列が決まる「カースト制度」と呼ばれる伝統的な身分制度があるインドで、少数民族や地位が低い特定のカーストに対し、優先的に大学の入学枠や公務員の採用枠などを割り当てる制度。上位カーストからは「逆差別だ」との批判もあり、カースト単位の抗議運動がたびたび発生している。

よろず不勉強な私には、この記事を見ても分からないことばかりである。インドにはカーストというものがあるということは、かねて耳にしたことはあったが、日本の江戸時代の「士農工商」といわれた身分と同様なもののことだろう位に思っていた。しかし、この記事によると、そんな簡単なものではないようである。そこで先ずは初歩的知識を仕入れるべく手元の広辞苑を開いてみた。そこでは次のように説明している。

カースト=インドに見られる社会集団。儀礼的な観点から序列つけられており、各集団間は通婚・食事などに関して厳しい規制があるが、弱まりつつある。二千以上の数があり、多くの場合、世襲的職業を持ち相互に分業関係を結ぶ。インドではジャーティ(生まれの意)という。

これを見てカーストの種類が二千以上もあるというのにまず驚いたが、世襲的職業を持っているということであれば、農家、牛飼、羊飼はもとより大工・左官・瓦屋・鍛冶屋・仕立て屋などの職種を意味しているように思われてくる。

そしてその職業に伝統的な貴賤の区別が存在し、世襲的にその職業に従事することが義務づけられ転職の自由は無いかのように感じられる。しかし、公務員の採用枠が割り当てられるというところを見ると、そうでもないようでもある。どうも良く分からない。

だが、低いカーストの者に優先的に採用枠を設けるということは、政府当局がこの「カースト」という伝統的風習を改革しなければならないと意識していることの証左であるとも思われる。またその改善に「留保制度」を設けているのは、秩序の急激な変化による混乱を避けるための賢明な施策と考えられる。

日本でも、かつては「士農工商」という江戸時代に封建社会の身分意識があったが、それは厳密な階級意識ではなかったようである。

幕末の英雄、勝海舟の祖父は、もとは町人であったが御家人株を購入して武士となったという。また江戸末期の篤農家二宮金次郎は、その殖産の技術で武家各藩の財政改善に貢献し、後には、老中水野忠邦に登用され、幕臣となっている。

また、先祖代々俸禄の変わらない武士は、時代とともに経済的に貧窮し、蔵宿・札差に借金して頭が上げられない有り様となっていたらしい。

だから、日本における階級は、あって無きが如きものだったのではないだろうか。それがまた江戸時代の平和をもたらした要因の一つと言えるのではあるまいか。

話は変わるが、この記事で感じたのは、「留保制度」の適用を求める比較的裕福なカーストのデモの中に銃や刀などの武器を持っていたということと、突如として暴徒化して商店街を襲撃し強奪や放火を繰り返したということである。

デモは時に暴徒化することもあるが、今日の日本でのデモは、庶民の意志表示の手段として行なわれるもので大半は平穏裏に終了する。日本でもかつては対日平和条約反対のデモの一部全学連が皇居前広場に乱入、警備の警察官と衝突、死者二名という昭和二七年のメーデー事件、日米安保条約反対で全学連主流派が国会に乱入し、巻き添えになった樺美智子さんが死亡する昭和三五年の安保阻止事件など、暴力沙汰に及ぶデモもあったが、最近そういうことは聞かなくなった。どうしてだろう。

日本人が豊かになったからか、小市民的利己主義者になってしまったからだろうか。それとも成熟した民主主義社会になったからというのだろうか。私にはまだ分からない。

ramtha / 2016年5月19日