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三月十日 「勝海舟の祖父」

続折々の想いの二月二八日「インドのカーストについて」の中で、勝海舟の祖父がもと町人であったことに触れたが、日下公人氏がその著書「グローバルスタンダードと日本のものさし」の中で、そのことについて記していたので、補足の意味で転記しておく。

幕府の海軍奉行まで務めた勝海舟は、幕末の英傑の一人だが、決して身分が高いとは言えない御家人であった。それどころか彼の祖父は、新潟で座頭(目が不自由で按摩・鍼灸を生業(なりわい)としていた人)をしていた。
彼は、座頭に許されていた小口消費者金融も営んでいた。いまで言う「サラ金」である。

海舟の祖父は、その「サラ金」でお金を儲けて、御家人の株を買った。身分をお金で買って、海舟の父親・小吉を侍にしたのである。そして海舟の祖父は、自分の死期を悟ったとき、金を貸した相手全員から取った証文を、目の前で火をつけて焼かせたという。貸し借りをすべて水に流して、返さなくてよいことにしたのである。

お金を借りていた人たちはお金を返さなくてよくなったのだから、みんな助かった。海舟の祖父を偉い人だと思ったことだろう。

ところで、証文を焼くことによって、勝海舟の祖父にはどんな得があったのだろう。多分、相手が苦しみ、逆恨みする姿を想像しなくてすみ、感謝もされる。それに、きれいさっぱりした気分で、死ねるという得があったのだろう。
それだけではなく、私は、彼がこんなことを考えたのではないかと思う。
彼はお金を貸したとき、相手を吟味して、「お前なら貸してあげてもよい」と言っただろう。「お前だけは特別だよ]と、好意で貸したこともあったろう。だから、お金を借りて感謝している人は多いと思うが、それでも恨みは後から出てくるもので、金貸しという仕事は、恨みを買うことが避けられない。

そして息子の代になると、息子は、そういう経緯(いきさつ)は知らない。息子が親父の証文をぶら下げて、強引に「金を返せ」と言ったら、相手は鬼か蛇(じゃ)かと思うだろう。それでは人間関係が壊れて、息子はこの町にいられなくなる。

それに、そんなことをしているようでは立派な人間にはなれまい。親の財産など当てにせず、江戸に出て立派なサラリーマン(武士)になってほしい。と思ったのではなかろうか。
もちろん、これはまったくの私の想像である。

日下氏は「私の想像である」と書いているが、当たらずといえども遠からずで、勝海舟の祖父の考えはこのようなものだったろうと私も想う。彼は目の見えない座頭の身で、長年金銭を巡る人の心の裏表を見て、この境地に達していたのだろう。それにしても、死に臨んで、一切の証文を焼き捨てるとは、なかなか出来るものではない。やはり相当な人物であったから、後世に名を残すような孫に恵まれたということではないか。

ramtha / 2016年5月22日