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三月二十日 「氷期の最も寒い時期には海面が130mも下がっていた」

今日も「日本人はどこから来たか」を読む。

世界各地の遺跡年代をマッピング(地図化)すると、ホモ・サピエンスは4万8000年前、ヒマラヤ山脈を南北に隔てて、別れて拡散していったことがわかる。インドから東南アジアへ進んだ「南ルート」をたどった者たちを見る。

アジアの土を踏んだ初期ホモ・サピエンスの集団が、当初、海岸伝いに移住を続けたのでないとしたら、祖先たちはどのように東へ進んでいったのだろうか。

現在の乾燥した西アジアの砂漠・半砂漠地帯を東へ向かい、南アジアへ抜けると、パキスタン北部あるいはインド西部のタール砂漠を越えたあたりから、草原や森林の多い景観へと変わっていく。これは南西から北東へ吹く夏季のアジアモンスーン(季節風)がインド洋から陸地へと水蒸気を運び、それによって季節的に降る雨の恩恵だ。

この湿った風を最初に受ける海岸部には、インド半島西側やセイロン島(スリランカ)のように熱帯雨林が発達する場所もある。湿った夏季モンスーンは世界最高峰のヒマラヤの山肌を駆け上がっていくときに雪となり、その水分は一旦、氷河に閉じ込められる。やがてそれはインダス川やガンジス川のような巨大河川を伝って、海へと戻っていくのである。モンスーンによる雨量は時に地域の人々の希望を大きく超えるものとなり、甚大な洪水被害をもたらすほどだ。規模が大きいアジアモンスーンは、さらに東南アジアを越えて東アジアまでその影響を及ぼし、これらの地域に、稲作を可能とする豊かな水と緑をもたらしてくれる。 風が水を運び、人を含む生き物たちの命を支えてくれているのである。

アフリカを出たホモ・サピエンスの集団が初めてヒマラヤの南側を歩いた時期は「最終氷期」という寒い時期に当たり、地球全体の気温は今よりも低かった。南~東南アジアの景観も現在と少し違い、全体に乾燥傾向にあり、今よりもサバンナが拡大していたらしい。しかし当時もこれらの地域はモンスーンの恩恵を受けており、乾燥化の厳しかった西アジアと比べると棲みやすい場所であった。

(注)サバンナ=熱帯・亜熱帯の、雨が少なく雨季・乾季の別がある地帯の草原。雨季にだけ丈の高い草が茂る。低木も点在。(広辞苑より)

この緑多き環境の中で、人類史的観点からたいへん興味深い生態系がある。それは熱帯雨林だ。人類はそもそもアフリカの森で誕生したのになぜそうなのかと、疑問に思われるかもしれない。しかし700万年前頃の最初はそうでも、およそ400万年前以降、人類は木登り行動をやめて森を離れ、それ以降はずっとサバンナを中心に進化して来たのだ。数万年前の祖先たちにとって、森は馴染みのある環境ではない。アフリカを出てアジアのこの土地へやってきた祖先たちは、この異質な生態系へも進出したのだろうか? それとも慣れない場所は避けただろうか?

もう一つ記しておくべきことがある。ヒマラヤの南側の土地は、数万年前には陸地が少し拡大していた。と言うのも、寒い氷期には高緯度地域や高山で氷床(氷河が連なって巨大化したもの)が成長するので、それだけ海の水が減ってしまい、海面が下がる。そのため海岸線が遠のいて、陸地が増えるのである。

現在の地球は間氷期と呼ばれる温暖な時期を迎えているが、それでもグリーンランドや南極には巨大な氷の塊である氷床が発達している。今よりも寒かった氷期には、そうした氷床が北米と南米の極域やスカンジナヴィア半島などに出現し、最も寒かった2万年前頃にはそれらが想像を絶するほど巨大化していた。特に北米のものはスケールが大きく、現在のカナダ全体とニューヨークを含むアメリカ合衆国の北部が、厚く広大な一枚の氷の下に敷かれていたほどだ。その巨大さに呼応して、当時の海面は現在よりもなんと130mも下がていたのだ。氷の形成は高緯度地域に集中するが、その海への影響は地球全体に及ぶ。

南ルートを祖先たちが移動したのは最終氷期の中頃で、寒さがピークに達する前だったが、それでも気温は現在より低く、海面は今より80mほど下がっていたはずだ。そのためインド洋沿岸の海岸線は、現在より10~100kmほど沖の方にあった。

海面低下の影響は、東南アジアでより大きかったことがわかっている。マレー半島沖の海域は海が浅いので、今は島として存在するスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ(カリマンタン)島は、みなマレー半島に連結してスンダランドと呼ばれる広大な陸塊を形成していた。面白いことに、マレー半島とボルネオ島の間の海底には巨大な渓谷がある。これはかつてスンダランドの陸上を流れていた河川の痕跡だ。

何万年か前にアフリカを出た祖先たちが東へ進んだとしたら、その行く手には、先述のように温暖で水と緑に恵まれ、現在よりも陸域がわずかに広がったヒマラヤ南ルートが延びていた。彼らがこのルートをたどってスンダランドまで達したことは、想像に難くない。

ここまで読んで教えられたことなどを整理する。

① インド洋からの季節風が多量の水分を北東へ運んで来ることは今も変わらない。日本ではその雨水を利用して水稲栽培を行なって主食としてきた。少子高齢化と人口の都市集中のため、最近では農家の後継者不足で耕作放棄地が各地で見られるようになっているが、食糧自給率が先進国中最低と言われているわが国としては由々しき問題である。

② 地球には氷期と間氷期があり、それが繰りえしやって来るとは耳にしていたが、氷期と間氷期との気温の違いで海面が100m以上も上下するとは知らなかった。最も水面が下がった時は、壱岐・対馬は本州と陸続きで、対馬と朝鮮半島の間は極めて狭く目と鼻の先ほどであったことだろう。その時代では丸木舟でも渡航できたに違いない。

③ 同様に、北海道はサハリンとともにシベリア大陸の一半島であり、津軽海峡も指呼の間で、これまた容易に往来可能であったことと思われる。
また台湾も中国大陸と陸続きであったというから、こちらからも渡来できたものと思われる。

④ 考えてみると、氷期には、こうしたルートを利用して、われわれの祖先はユーラシア大陸や東南アジアから日本列島にやってきたことが窺える。
それにしても、祖先発祥の地がアフリカであり、全人類と祖先を共有するとは感無量のものがある。

ramtha / 2016年5月22日