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三月二九日 「中国は資本主義社会の優等生?」

日本の十倍の人口と三十倍近い面積を有する中国の実情は、なかなか分かりづらいが、富坂 聡著「日本人が知らない中国人の不思議な生活」を読んでみる。その中に次のような話が書かれていた。

かつて中国は、経済成長の目標を定める過程で、「保八」という言葉を使ってきた。「保八」とは、「もしGDP八%成長を割り込めば、毎年発生する約一千万人ともいわれる新規雇用の需要に対応できなくなり「社会不安が引き起こされる」と、信じられてきたことから。「八%を最低限守るべきラインと定め」たことが由来だ。
中国が失業問題をどれほど重視してきたかを示す言葉である。

GDPの目標値が二〇十二年に七・二%に引き下げられ、現在は七%を切るまでになっているが、中国には現状、社会不安と呼べる状況は見て取れない。このことをもって成長率が鈍化しても仕事は確保されているとみなすこともできるのだが、現実はそうではない。仕事にありついたといっても、それは本来、大卒というキャリアに見合った仕事を、みな、見つけられているわけではないからだ。

つまり、問題はマッチングだ。
参考までに、二〇一三(平成二五)年の大学卒業生約六九九万人の内定率(中国では契約率に相当)を見ると、卒業生全体で約三十%という驚異的に低い数字がはじき出されてくるのである。かつて日本には大卒学生の就職氷河期と呼べる時代があった。直近では二〇〇八(平成二十)年のリーマンショックを受けた世界金融危機後の混乱のなかで、多くの企業が一時的に採用の枠を縮小したことから、新卒学生があぶれるという現象が広がったからだっだが、このときでさえ内定率は六十%台の後半であったことを考えれば、中国の内定率三〇%がいかに低い数字か理解できるはずだ。しかも北京の数字は、全国平均を下回り二八・八%であった。

この時期、中国の大卒学生の就職難を伝える記事は無数にあったが、なかでも目を引いたのが、「北京晩報」こ一月十四日付)の特集記事、「史上最難就職季のAB面(裏表の意)」である。副題には「学生の怨嗟の声響き渡る就職戦線だが、その一方で人手不足に悩む経営者のため息も漏れる」とある。いかにも当時の中国の世相を反映した見出しなので、中身を少し詳しく紹介しておこう。

記事では、中小企業が開いた説明会でのやり取りがメインに紹介されている。こう書けば日本人には何となく結論が思い当たるのではないだろうか。つまり、「選ばなければ仕事はある」ということで、もっと具体的にいえば、「中小企業をなぜ敬遠するか」という説教が記事の主旨であった。

興味深かったのは、学生と中小企業の採用担当者とのこんなやり取りだ。学生が「月額四千元の初任給」を求めたのに対し、企業側が昨年度までの実績から提示したのは、その半分の二千元だった。なかには最低レベルとして千五百元を示した企業もあったという。

このやり取りから、双方には埋めがたいギャップがあると思われた。中小企業側の言い分としては、「新卒を採用し、四千元の給料をだすためには、企業はさらに二千元の社会保障費を負担しなければならないのだが、会社の体力を考えれば、簡単に応じられない」というものだった。

内定率三十%の超氷河期であれば、月給二千元でも仕事があるだけ「まし」との考えができないわけではない。そして記事のトーンも概ねそんなところであった。

日本の就職氷河期にも見られた「なぜ中小企業じゃだめなのか」という批判にも通じる理屈だ。
だが、学生側の事情もある。とくに、地元に両親や親戚のいない学生であれば、なおさら譲れない事情があるのだという。湖北省出身の学生が語る。
「例えば、北京で暮らすとしましょう。場所は第四環状線の内側(東京の環状八号線の内側のイメージ)だとワンルームを二人でシェアして住むにしても、毎月二千元が家賃に消えて行ってしまう。さらに食費です。これは切り詰めても月に千元は必要です。だとすれば、給料が四千元あったとしてもギリギリです。

新入社員とはいえ社会人として最低限の生活をするギリギリです。けっして無理な要求をしているとは思いません。もし給料二千元の条件を飲めば、ワンルームを三人から四人でシェアすることが最低条件となります。

しかも、そんな風にして暮らしても、この水準の収入である限り、何年経っても貯金は増えず、持ち家に住むことなど夢のまた夢。もちろん結婚もできないことになりますから、明るい未来を思い描くことなどできなくなってしまうのです」

聞いてみれば、学生側の言い分にも理由があるのだ。
企業には企業の論理があり、学生には学生として譲れない事情がある。そして歩み寄れるケースもあれば、歩み寄れないことも少なくない。では、就職からあぶれた学生たちは結局どうしているのだろうか。
「その多くはドブネズミ族やアリ族と呼ばれる生活を送りながら、次のチャンスを狙うことになります」と語るのは北京の夕刊紙記者だ。

「いま就職に苦しむ学生の中で最も大変なのが、地方出身者でコネのない優秀な学生です。彼らはコネがないことで、就職には圧倒的に不利です。その上、一度北京のような大都市を離れてしまえば、再び都市に戻ってくる機会はなかなか得られません。ですから、臨時の仕事に就きながら、次の就職の機会をうかがうことになるのです。そのとき都会で暮らしてゆく環境は当然なことながら劣悪を極めます。俗にドブネズミ族とかアリ族と呼ばれる暮らしです。ドブネズミ族はビルの地下室で窓の無い倉庫を改造した物件。アリ族は大人数で一つの部屋をシェアして住む暮らしを指します。まあ、たいていは二段ベッドの一つしか自分のスペースはないといった暮らしです」

二〇十三(平成二五)年七月十五日付「北京日報」が写真付きで報じて話題となった記事は、まさにアリ族に関するものだったが、その見出しは「北京の第三環状線の内側八十平米の部屋に二五人が暮らす 家賃は2万元」といったものだった。

八十平米の部屋といえば二DKくらいの広さを思い浮かべるが、そこに二五人が暮らすというのは想像を絶する現実である。

ちなみにアリ族というのは、一つの出入り口から不特定多数の人がひっきりなしに出入りする様子が、「アリの巣に似ているから」という説が有力だが、このケースもまさにそうなるはずだ。

家賃が二万元ということは、これほど過酷な環境でも一人当たり八百元(約一万八十円)と決して安くはないのだ。不動産を持つ者の強みや、ひいては格差がさらに広がる構造をここに見ることができる。持たざる者には厳しい現実なのだ。

若者たちが、ドブネズミ族やアリ族として臥薪嘗胆の暮らしをしながら、勝ち組の世界を目指すのも、格差の開き過ぎた中国のいまの現実を見れば、理解できないこともない。一生のことを考えれば、いま苦労しても可能性がある限り手を伸ばしてチャンスをつかみ取らなければならない。そこには深い溝があるからだ。

では、彼らはどれぐらいの収入を得て暮らしているのだろか。
例えば、中国の底辺を支えているのは農民たちであり、またそこから吐き出される流動人口(いわゆる出稼ぎ労働者たち)である。二億六千万人ともいわれる。人口の点から見れば、彼らが圧倒的にこの国の主役であることは揺るぎない事実だ。そんな彼らも、いまや、その半分が「八十年後」(一九八〇=昭和五五年代以降に生まれた世代で、新しいタイプの中国人の出現、という意味で使われる)によって占められているという。

二〇一〇(平成二二)年以降、彼らが労働者の主役となりストライキを繰り返したことによって、中国の労働賃金が一気に上昇し、中国の製造業から競争力を奪ったと説明されてきたが、それでも彼らの平均月収は、わずか三二八七元(約五万六千円)に過ぎない(「中国新聞」二〇十三年十月十四日付)といわれ、そこから上がることは望めないとされている。

三二八七元ならば、新卒大学生が求める四千元とは、ほとんど差はないではないかと考えるかもしれないが、その先の伸びが前者と後者とでは圧倒的に違うのだ。

例えば、「勝ち組」を目指ず学生が、ひとたび第一志望の企業から内定をもらえれば、彼の生活はどのように一変するのだろうか。すこし考えてみたい。

一つの参考になるのは中国社会科学院が発行する『中国経営報』{二〇十二年十一月十八日付)が格差問題をテーマに取り上げた記事の中で、央企(国務院直属の国有企業)に勤めるホワイトカラー幹部の平均年収は、すでに七十万元(当時のレートで約八八二万円、現在レートで約千三七二万円=国有資産管理委員会調べ)を超えていると記されていることだ。日本のサラリーマン社会でも、恐らく最高レベルに属する年収といえるのではないだろうか。

ちなみに、年収が高いことで知られる国有金融機関で大手銀行の一つ、平安銀行の経営陣だが、そのトップスリーの月給を合わせると、それだけで三億四千万円を突破してしまうというのだから、日本の上場企業と比較しても例外的に高いランクといわざるを得ない。

もはや社会主義経済に市場経済の要素を取り込んだなどとは形容できない世界であり、社会保障の基盤が不十分であることを考えると、日本社会と対比し、「日本の方がよほど社会主義国」と表現されることの意味を思い知らされる。
実体としては、むしろアメリカ的な容赦ない弱肉強食の論理を実践している資本主義の優等生と見なすべきだろう。

これを読んで感じ考えたことを記してみる。

① 中国社会に経済的格差があるとは耳にしていたが。これほどすさまじいものとは知らなかった。中華人民共和国というのは「共産主義体制の国」と理解するのは誤りで、正しくは「中国共産党の独裁支配する、競争主義の国」であると改めて思い知らされた。

② 大卒者の就職率が三十%程度しかないというのは驚きだが、基本的には高学歴者が多すぎることにあるのではないか。私はかねがね日本でも大学が多すぎると思っている。日本の大学は戦後の学制改革で急増し、駅弁を売る駅のある都市の数に例えられ、辛口評論家大宅壮一氏から「駅弁大学」と揶揄(ヤユ)されたこともあったが、あれから半世紀以上経った今日では、さらに倍増している。経済成長と少子化に支えられてのことと思われるが、中国の現状も一人っ子政策により、親が一人の子供に多額の教育費を注ぎ込むことが可能になった結果と思われる。

③ 優秀な学生でもコネがなければと書かれているが、コネとは中国共産党の幹部・党員であることが最高のコネであるに違いないが、あの国のことだから巨額の賄賂も横行しているものと思われる。尤も最近は習近平の汚職摘発が厳しいようだから、贈収賄も地下深く潜行して行なわれていることだろう。

ramtha / 2016年5月24日