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五、事務用品・文房具など(③ タイプライター)

③ タイプライター

今日のビジネスでは、パソコンが広く行き渡っているので、公文書の作成も、パソコンでなされていることだろうが、昔は邦文タイプライターが用いられていた。

欧文タイプライターは、一八七八年にアメリカ人のレミントンが開発したと伝えられているが、邦文タイプライターは、ものの本によれば、大正四年(一九一五年)杉本京太という人が考案完成したとのことである。

欧文のものは、活字がアルファベットニ十六文字と付属記号で構成されており、多少練習すれば誰にでも使用できるが、邦文のものは、平仮名・カタカナのほか多数の漢字があり、しかも、印鑑と同様に、左右逆の形に作られている活字を、瞬時に見分けなければ、仕事にならないという甚だ厄介な代物であった。だからこれの操作は、タイピスト専門学校などで養成されたプロでなくては、出来なかった。そのため、麻生本社では当時四名のタイピストを擁していた。

昭和四十六年、東京のシンクタンクに勤務していたとき、公文書の作成は八重州口裏通りにあったタイプ印刷屋「ながさか」に外注していた。
「ながさか」は夫婦と女性従業員二人、計四人の零細企業であったが、得意先は多く、何時行ってみても、みんな忙しそうにタイプを打っていた。田舎者の私は、東京だからこそ成り立つこの商売に、人口の都市集中の原因を目のあたりに見る思いがしたことであった。

誰でもが操作出来るワープロが出回るようになった昭和五十年代になってから、邦文タイプライターは姿を消して行ったのではなかったか。あの働き者の夫婦は、その後どうしているだろう。

ramtha / 2016年5月13日