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四月二三日 「言葉と人柄」

毎日新聞の書籍販売広告欄に次のようなキャッチフレーズがあった。

「必要なのは 学歴ではなく 学問だよ。
学歴は過去の栄光 学問は現在に生きている。」

「祝い事には遅れてもいい。ただし葬式には真っ先に駆けつけろ。
本当に人が悲しんでいるときに寄り添ってやることが大事だ。」

「失敗はイヤというほどしたほうがいい。
そうすると バカでないかぎり骨身に沁みる。
判断力、分別ができてぐる。これが成長の正体だ」

新聞二面の下段横いっぱい約二十cm高さのスペースを独占する書籍の広告であるが、このキャッチフレーズは我が子や孫に伝えたい立派な人生訓と感じられる。

実はこの本の表題は「田中角栄100の言葉」であり「日本人に贈る人生と仕事の心得」と言うサブタイトルがついている。

「田中角栄」の言葉となると、私の気持ちは変わってくる。今となっては、もはや、歴史上の人物となってしまったが、新潟県の農民の子から独学で立身出世し、昭和四七年七月、内閣総理大臣まで上り詰め、就任直後、日中国交正常化を実現するなど、即断即決の政治手法で一時は「今太閤」と、もて魘された彼だが、昭和四九年十月、作家立花隆氏が「田中角栄研究―その金脈と人脈」を文芸春秋(十一号)に発表。この金脈疑惑で同年十二月、辞任を余儀なくされた。更に昭和五一年、米国ロッキード社から巨額の贈賄を受けたことが発覚、逮捕起訴された。裁判は一審・二審とも実刑判決を下したが、平成五年、本人死去により公訴棄却となっている。

振り返ってみると、「金権政治」という言葉が、日常使われるようになったのも、彼の政界登場以来のことであったような気がする。「罪を悪(にく)んで人を悪まず」という格言もあるが、凡俗の私はその境地には成り得ない。
冒頭に掲げた言葉は、彼の処世の手段であって本心とは感じられないからである。

しかし、草履取りから天下執りまで出世した秀吉も、司馬遼太郎の小説によると、「無類の人誑(たら)し」で、敵将を味方にすべく口説くときは、心の底からその気持ちになっていたと言う。

自民党最大派閥の長として君臨した田中角栄も、多くの子分にとっては、損得を度外視して自分を守ってくれる親分であったのかも知れない。とすれば、彼の言葉が発せられた瞬間は、その本心の吐露であったのかとも思われてくる。

ところで、新聞の広告欄を見ていると、最近「田中角栄」に関する出版物がしばしば目につくようになった気がしている。私は広告を見るばかりで本を読んでいるわけではないから、どんなことが書かれているかは知らない。しかし、広告宣伝の文面から察するに、その多くは「田中角栄礼賛」や「角栄後継者待望論」ではないかと思われる。どうしてそういう現象が起こってきたのか、考えさせられている。

田中角栄氏が首相になったのは、佐藤栄作総理の勇退を受けてのことで、自民党には「三角大福中」と呼ばれた有力後継候補が居て、次期総裁選挙に向けての派閥間の激しい駆け引きが行なわれていた。結局は福田赳夫氏との決戦投票で勝利したわけだが、当時の自民党内の派閥争いは活発なもので、今の自民党を見ていると、あの活気はどこで失われてしまったのかと思われる。

「一強多弱」と言われる無力な野党が原因なのか、中選挙区による自民党同士での選挙戦が小選挙区になり、党公認をもらうためには、現執行部に楯突かれなくなったからだろうか。

安倍総理の任期切れも遠くないにもかかわらず、対立候補の噂も聞かれない。こんなことでは選挙があっても、投票に行く有権者は極めて少ないに違いない。日本の政治は大丈夫なのか心配になる。

マスコミの報道を見ていても、与野党議員の一人一人が、ぜひとも実現したい政見を持っているのかすら明らかでなく、ましていかなる政見実現の意欲を持って国会議員となったか分からない者が、大半のように見受けられるのは私だけだろうか。

当面は東日本大震災と今回の熊本・大分地域大震災の復興が最大の政治課題だが、少子化対策・地方再生・待機保育児問題・派遣社員低賃金引き上げ等々、テーマは無数にある。選挙権年齢の引き下げも行なわれることで、高校生まで含めて、全国民の政策論争を日常化し、ぐーたら議員の尻叩きをして、政治の活性化をすることが焦眉の急と思われる。

ramtha / 2016年6月30日