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五月十三日 「文化革命から五十周年」

今年は中国の文化大革命から五十年になるということで今日の毎日新聞は次のような記事を掲げている。

中国を大混乱に陥れ、多数の犠牲者を出した文化大革命(1966~76年)発動から50年を迎えた十六日中国国内で公式行事や主要メディアの報道はなかった。

中国共産党の過ちが注目されれば、習近平指導部への批判に転じる恐れもあり、行事や報道を中国当局が厳しく規制している模様だ。

党は81年の「歴史決議」で文革を全面否定。故毛沢東主席への崇拝が文革を招いたとして、指導者らの個人崇拝を禁じてきた。しかし、今年三月の全国人民代表大会(全人代=国会)では「習バッジ」をつけた代表団が登場。今月二日には女性アイドルグループが北京の人民代会堂で軍事パレードを観閲する習氏の写真や文革時代の毛沢東の絵を背景に文革の代表歌を熱唱。個人崇拝の復活かと批判の声が上がった。
さらに八日には陜西省西安で毛沢東支持者が座談会を開催。十四・十五日には遼寧省大連での国際ウォーキング大会で参加者が毛沢東の写真や文革の標語が記された旗を手にする写真が流れた。

関連報道はいずれも削除され、今月に入ってから当局は、保守、革新を問わず、論客には文革を巡る対外的な発言を禁じている。習氏は文革の被害者だが、毛沢東と同じ大衆路線で権力基盤を固めてきた。「文革五〇年」をきっかけに習氏の政治手法を巡る議論が起きないよう当局は敏感になっている模様だ。

また、愛知大学名誉教授・加々美光行氏(現代中国論)は、次のように解説している。

文革は単純な権力闘争ではない。劉少奇や鄧小平らが行なった改革により社会が資本主義の復活に向かうかのように見え、危機感を抱いた毛沢東が起こしたイデオロギー事件だ。彼は文革を通して支持基盤の共産党を破壊し、社会全体、国民一人一人の思考を作り替えようとした。

文革初期は、出身が「反革命」や「右派」の家系ではない幹部の子弟ら「紅五類」の紅衛兵が中心となり運動を行なった。しかし、間もなく今度は「反革命」や「右派」出身の「黒五類」が「なぜ出自で差別されるのか。自己変革が可能ではないのか」と唱え始めた。当時の中国は出身階級を記載した「人事相案(トウアン)」という公文書があった。本人による閲覧も修正も不可能で、生まれが人生を大きく左右した。

黒五類たちは、人事相案を行政機関から略奪することを考え、毛沢東も支持した。そして、紅五類と黒五類という紅衛兵同士の争いが始まった。このように、文革がエスカレートした社会的要因の一つは出身階級による格差が存在した。

出身階級の差別撤廃の闘争までは、毛沢東の想定通りだった。しかし、彼の思惑とは裏腹に、武力闘争で収穫間際の農地が荒らされ、激怒した農民までが武装決起してしまい、文革は収拾不可能になった。争いはエスカレートし、血で血を洗うような事態になってしまった。

現在の中国に目を向けると、「貧富の格差」がどんどん拡大している。文革当時の「出身による格差」と通じるものがある。汚職が横行し、国民の不満もたまっている。習指導部は格差拡大を防ぐべく、国内でのインフラ投資をやめ、また、汚職撲滅を掲げ、取り締まりを強化している。

しかし、これは大きな危険をはらんでいる。取り締まりの強化に呼応して、民衆の意識が過激化したらどうなるか。私は文革が絶対に再発しないと言い切る自信はない。今一度、文革の悲惨な教訓を胸に刻まなければいけない。

また静岡大学教授・楊海英氏(文化人類学)は次のような談話を発表している。

毛沢東が文革を起こした大きな理由は二つあると考えている。一つ目は、国内的要因で、政敵を粛清し、社会主義を徹底すること。二つ目は国際的要因で、スターリンの死後、空白になっていた共産主義のリーダーになることだ。毛沢東は中国国内だけではなく、世界に革命を輸出しようとしていた。共産主義の中心地をモスクワから北京にしようとしていたのだ。

中国の歴史は、独裁政治と専制主義の連続だった。私は文革について、中国特有の専制主義とマルクスーレーニン主義が結びついた「悪魔」のようなものだと考えている。そして、文革を語る時に決して忘れないでほしいのは、少数民族への影響だ。私が生まれた内モンゴルや新疆ウイグル、チベットなどでの文革は「ジェノサイド(大虐殺)」だった。私の周囲でもどんどん罪のない人が死んでいった。

中国は1980年代以降、文革を否定しているが、いまだに少数民族が住む地域で何が起こったのかは総括されず、それどころか国内では文革の研究すら禁止している。弾圧は現在も続いており、我々にとっての文革は終わっていない。新疆ウイグルでは同化政策が強まり、ウイグル語で教育を受けることを禁止され、中国語を強要されている。香港でも書店関係者が拘束されるなど言論の自由がなくなっている。

ある意味で、文革期より現在の方が危険だという気がする。文革当時は、中国の国力が無かったせいもあるが、他の国へどんどん軍事侵攻するようなことはなかった。それが今はどうだろうか。東シナ海や南シナ海に進出することに加え、アフリカのジプチにさえ軍事拠点を構えている。

習近平指導部が発足してから、強権政治の傾向は強くなったと感じる。用いられる手法は文革時代とほとんど変わらない。だからこそ、文革を検証し、ジェノサイドのような悲劇が再び起こらないようにしなければいけない。

文革に付いての上記の三つの解説を見て、私の感じたことを整理してみる。

① 現代の政治家を見ると、自分の政治理念を実現するために政治家になったのか、自分の出世の為に政治家を目指し、政治家として格好をつけるために政見を掲げているように思われる者が少なくない。
毛沢東もその初心は分からないが、少なくとも晩年の彼は権力を握り、中国を自分の思いのままに動かすことを狙い、その手段として社会主義なり共産主義を標榜していたように思われる。

② 文革は表向きには、劉少奇、鄧小平らの経済改革により資本主義化するのを防ぐための活動としながら、毛沢東が中国の支配権を取り戻すために起こしたものと思われる。しかし、結果は国内の大混乱を招き、自らの立場をより悪くしてしまった。

③ 楊海英氏が指摘しているように、中国の歴史は、その時々の実力者が独裁専制政治を行なって来ている。ということは、話し合いで事を運ぶ経験が無いわけで、力の無いものはひたすら支配者の顔色を伺い、相手を倒す自信ができれば、武力革命に走る国柄と言えよう。

④ 現在は習近平が最高権力を掌握しているように見えるが、内情はどうなっているか分からない。伝えられるところによると、習近平はひたすら力の信奉者で、人間不信に徹しているようだ。だから心を許す部下もいないのではないか。汚職摘発を名目に政敵を次々と倒しているが、同時にそれをもって自らの力を誇示しているのではないか。対外的にも同様に妥協する姿勢を見せず、押し捲り続けるものと思われる。

⑤ 日本としては科学技術の研究など、あらゆる先端分野で、中国を圧倒する業績を上げ、彼らの野望の芽を摘みとることに努めなければなるまい。

ramtha / 2016年7月2日