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八.道路・乗り物・旅行など(⑥ 飛行機)

⑥ 飛行機

ライト兄弟が世界最初の動力飛行を行なったのは、西暦一九〇三年(明治三十六年)のことだから、それから百余年になるが、昭和初期の日本では、陸海軍の軍用機はあっても、民間旅客機はまだ無かったことと思われる。

日本史年表には、昭和三年に日本航空輸送㈱が設立されたと記されているが、私は不勉強で、その会社がどのような活動をしていたか知らない。軽量貨物の輸送をしていたのではないかと思うが、どうだろう。

いずれにしても、昭和初期の日本は軍部が支配する国防国家であり、国内到る所に、民間人の立ち入りを禁止する要塞地帯があったから、今日のような民間航空機がその上空を自由に飛行することは許されなかった筈である。また、昭和十七年四月には米軍機による本土空襲が行なわれているから、その頃民間旅客機の運行など有り得ない話である。また戦後は米軍の占領下で、これまた許されないことであったに違いない。

しかし昭和二十六年、サンフランシスコ平和条約締結にあわせて、日本航空が設立され運行を開始している。それまで国鉄を利用されていた麻生太賀吉社長も、空路に乗り換えられた。ところが翌年四月九日、羽田発板付行き日航機「もく星号」が伊豆大島に墜落し、乗客・乗員全員が犠牲となる事故が発生した。

当時、私は麻生本社に勤務していたが、その日の昼過ぎ、上司の方々が深刻な表情で顔を寄せられている。何事ならんと耳をそばだてていると、今日帰社予定の社長が搭乗されている日航機が、羽田離陸後、消息を断ったとラジオが伝えていると聞かされた。噂を耳にした者は一様に呆然としている。

すると暫くして、労務課の矢野憲男さんが「いやー良かった。良かった。みんな安心しろ。」と大声を上げた。聞けば、社長はその飛行機に乗られる予定であったが、急用のためキャンセルされたとのこと。東京支店へ電話で問い合わせて判明したという。
「こりゃー今夜は祝杯を上げにゃならんのお。」と酒豪の矢野さんは、顔を綻ばせながら、早速周りの社員に誘いをかけていた。

その後、日本経済の高度成長とともに空路も便数も拡大増加し、わが社でも幹部社員など東京・大阪への出張に利用するようになって来た。昭和三十七年私も初めて利用させてもらったが、飛行機の上昇に伴う気圧の変動で耳が痛くなったのには往生した。

人間は誰しもエレベーターや飛行機に乗ると、気圧の急変で耳に違和感を覚える。それは鼓膜の内外の気圧が異なるためだが、唾を嚥み込むと解消する。唾を嚥むと解消するのは、耳と咽頭上部とを連絡するエウスタキ管(耳管)を通して空気が送られ、鼓膜内外の気圧が調節されて同じになるからだそうだ。
当時、飛行機に搭乗したら離睦前に乗客に飴玉が配られていた。私はその飴玉を嘗めてしきりと唾を嚥み込むが、それでも痛みは止まらない。後日、耳鼻科の医師に診てもらったところ、私の耳管は格別細く、唾を嚥み込んだくらいでは、なかなか空気を送ることが出来ないとのこと。口を閉じ鼻を摘んで力一杯息を吐いて耳管へ空気を送るようにと教えられた。試みると幾許かの効果はあるが、完全には解消しない。そんなことで私は飛行機に乗ることを避けてきた。

ramtha / 2016年4月14日