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七月三一日 「戦前の日本と今の中国」

昨日の毎日新聞には「孤立招く核心的利益」と題して客員編集委員・西川 恵氏が次のような論説を載せている。そこに掲げられている過去の日本は、私自身が経験したことであり。身につまされたことでもあった。

国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所の判決を、中国政府は「紙くず」と言い放ち、王毅外相はケリー米国務長官に「欧米の都合の良いように結論を出そうとした茶番」と語った。

東・南シナ海問題をめぐる力をバックにした中国の居丈高な姿勢を見ていると戦前の日本の振舞もこれに似たものだったろうと思う。状況もコトの性格も違うが、自国の「核心的利益」のためには国際社会の裁定を歯牙にもかけない態度に、満州事変でのリットン調査団の報告書を一蹴した日本を思い出す。

一九三一(昭和六)年九月、奉天(現・瀋陽)郊外の柳条湖で南満州鉄道が破壊され、日本軍は中国軍一派の犯行と断定し、軍事行動を拡大した。中国は直ちに国際連盟に提訴し、連盟理事会は日本を除く全理事国の合意で、英国のリットン卿を団長とする調査団派遣を決定した。

この間も日本軍は戦火を拡大する一方、満州国の建設を宣言し、国際社会の反発を買う。同調査団は一九三二(昭和七)年十月、報告書で満州事変を日本の侵略行為と断定。これを受けて国際連盟の総会は一九三三(昭和八)年二月、日本の侵略行為を認定し、満州からの撤兵を勧告する決議を採択した。日本は連盟を脱退し、国際的孤立は決定的となった。

当時といまの状況は違う。グローバリズムの相互依存関係の世界では、開放体制と協調関係があってこそ利益を享受できることを中国自身がよく知っている。

しかし一方で、急速に大国化している時の内発的な論理や心理、動因というものは、昔もいまもさして変わりない。偏狭なナショナリズムと攘夷(ジョウイ)感情はその一つで、国力をつければつけるほど、「国際社会何するもの」といった傲慢な形で表出する。

中国では判決に憤慨した人々が外資系ファストフード店にデモをかけ、日米の陰謀論もネットをにぎわした。日本も国際連盟総会で勧告決議案の採択が不可避と見るや、主席全権の松岡洋右は総会会場から退場し、これを国民は歓呼の声で迎えた。

時折、中央の統制が利いていない軍の勝手な行動ではないかと思わせる中国軍の艦船や戦闘機の危険な行為も、政府を無視して独走した関東軍を思い起こさせる。

中国は判決に抗して埋め立てを続けるのか、国連海洋法条約から脱退するのか・・・。判決は大きな岐路を中国に提示した。世界を知る人は共産党にも官僚にも少なくない。リットン報告書を機に孤立していった日本の轍を踏むべきではない。

このの文章を読んで、感じたこと考えさせられたことを記すことにする。

① 戦前の日本の中国侵略の状況は、概ねここに記されたところに誤りは無いようだ。しかし、日本が中国侵略をしたことは誤りであったとしても、戦争によらず他に方法は無かったのかと、今になっても、私は考え惓(あぐ)ねている。当時の日本は陸軍がよろず支配し、問題解決に当たり、武力に頼る傾向にあり、他の平和的手段に対する配慮は足りなかったのは確かであったと思われる。

② しかし、当時の日本に対する欧米先進国の対応は、黄禍論(コウカロン)に見られるような人種差別的な厳しいもので、日本が生きて行くには、何とかしなければならない状況であったことは、元日本兵の台湾人・鄭春河(旧日本名:上杉重雄)氏の著書「台湾人元志願兵と大東亜戦争」に詳述されている。その点が現在の中国の立場と全く異なることを心得ていなければならない。

③ それを思うと、陸軍が政治を隴断(ロウダン)した当時の政治構造が惜しまれてならない。またそれを許した世論を批判することなく黙認していたマスコミも、陸軍に屈伏していたことと思われると同時に、言論の自由を守ることの難しさをつくづく痛感する。

ramtha / 2016年8月21日