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八月十九日 「歴史について考える」

今朝の毎日新聞には、経営共創基盤CEOの冨山和彦氏が「トーリーとホイッグ、歴史は繰り返す」と題して次のような一文を載せている。

世界の政治や経済を語る最近のキーワードは「格差」や「分断」である。あたかも人類未経験の新局面のようにそうした言葉が語られるが、本当にそうだろうか。最近、イタリアを旅したが、かの地の壮麗な建築物や美術品は、当時の経済力や生産性を考えると、想像を絶する富の集中が無ければ絶対に実現不能なものだ。欧州の歴史は、まさに分断と戦争、民族や宗教や階級を巡る対立の歴史である。だからこそ今もあれだけ多数の国家がひしめき合っている。

現在、私たちが対峙(タイジ)している問題も長い歴史から見れば特別目新しいものとは言えない。従来の左右対立軸は不自然に見える。英保守党による、欧州連合(EU)離脱や、米共和党の大統領候補に反・環太平洋パートナーシップ協定(TPP)のトランプ氏が選出されたことも、歴史的な回帰現象とみることができる。

英保守党は、かつてトーリー党と言われ、もともとは重商主義政党であり、対立していたホイッグ党が自由貿易論の政党であった。アダムスミスの「国富論」は、重商主義を批判し自由貿易の有用性を説いた本である。

米国の二大政党制も、南北戦争のころは、北部のまだ競争力の弱い商工業者を支持基盤とする共和党が保護貿易主義、綿花の大輸出基地だ。た南部の民主党は自由貿易論だった。

資本(成長)対労働(分配)という左右対立が政治の基本軸になったのは二十世紀的な現象で、歴史的には、保護貿易(重商主義)か自由貿易か、民族主義か国際主義か、という対立軸の方が普遍的なのだ。世界史はこの間の揺らぎの歴史でもある。今を生きる私たちは、経験の無い格差や分断、混沌(コントン)を前に「先が見えない」と嘆くことよりも、人類の長い歴史から学ぶ賢者とならねばならぬ。

これを読んで感じたこと、考えたことを書き留める。

① 私たちは歓光地で鎌倉の大仏や、姫路の白鷺城などを見て、その大きいことや美しいことに感心するが、現代のような、技術も建設機械も無い時代に、あれだけのものを創った当時の作業員の苦労が、どれほどのものであったかなど、考えてみたことが無い。

② とりわけ、今に残る奥州藤原氏三代の霊廟は金箔をふんだんに使った豪華窮まりないもので、当時、朝廷と鎌倉源氏と日本を三分した奥州藤原氏の財力は見る者を圧倒するが、これまた搾取された奥州の庶民については旅行ガイドの案内も触れることはない。

③ 歴史とは残酷なもので、権力者を讃えるこれら美術作品は歴史遺産に登録されるなどして、大切に保存されるが、その作成に関わった人々の苦労や、財政的基盤となって搾取された無名の庶民の嘆きは無視され記録されることはない。

④ われわれが東洋史で学んだ中国と、習近平が率いる中国共産党下の現代中国とは全く異質なもののように思われるが、共産党内部の権力争いは相当なものがあると伝えられている。とすれば、国民の迷惑は度外視し、権力争いに血道を挙げた過去の歴代王朝と変わりはないのではと思われる。

ramtha / 2016年9月13日