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七、江差郷土資科館に宮原氏を訪ねる

坂道を下ってホテル寺子屋へ。リュックを預けて、先ずは江差町郷土資料館を訪ねることとする。地図を見ると、町の一番高い所にあるようだ。急な坂道を休み休みしながら上る。坂の途中で足を止めて振り返ると、坂下の街並の向こうに、明るく青い海が見える。

郷土資料館で学芸員の宮原浩氏に、曾祖父の足跡を尋ねて来た旨述べると、ここでも九州から尾見雄三の子孫が尋ねて来たことに驚かれる。

幕末にここ江差の奉行を勤めた尾見雄三は、当地の郷土史研究者の間では.今も有名人のようである。その七光のおかげで、宮原氏から懇切な応対を受け、ずいぷんいろいろと教えて頂くことが出来た。

宮原氏は尾見雄三に関わる資料をいくつも見つけだしてコピーしてくれたが、とりわけ江差の廻船問屋関川家に残っていた尾見雄三の文書をコピーして頂いた。この文書は当時江差奉行であった雄三が、慶応二年四月、姥神町の船(猪八等七人の乗り組む船)に与えた廻船免許証、いわぱパスポートで、宛先は津々滴々の番所衆となっている。

百五十年昔の尾見雄三の筆跡に接して.感慨無量のものがあったが、コピー代をお支払いしようとしたが、受け取られない。宮原氏のご好意に甘えることとなった。

雄三が江差奉行として在任中、町の興隆のためさまざまな施策を打ち出し善政を敷き、領民に慕われていたことなども伺ったが、我が家にある『尾見家七代にわたる系譜と履歴』のことを話したら、是非コピーして送ってほしいとのことであった。

お仕事中、貴重な時間を割いて下さったことに感謝して、辞去することにしたが、別れにあたって宮原氏は
「この建物のすぐ前の丘の上に護国神社があり、その境内に松前戦争の時戦死した官軍兵士の墓があります。その中に尾見雄三の片腕となって正義隊のクーデターに参加し、松前戦争のとき、この地で土方歳三率いる佐幕軍と戦い戦死した氏家丹宮の墓があります。よかったらお参りされませんか。」と言われる。

また、わざわざコピーした周辺の地図を持って来られて、その地図に色鉛筆で順路を図示し
「坂を下って行くと、ここが尾見雄三の勤務した奉行所跡です。さらに下って南へ行くと、ここに姥神神社があります。尾見雄三が氏家丹宮等とクーデターの旗揚げをしたところです。ご覧になって下さい。」
と、まことに懇切丁寧な案内をして頂いて、いたく感激したことであった。

ramtha / 2016年10月19日