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十月十八日 「いじめについて」

最近のニュースでは、「いじめ」が原因の学童自殺が、しばしば伝えられている。私たちが小学生であった昭和初期には、喧嘩は毎日のようにあったが、今のような弱い者いじめは、あまり無かったような気がする。

学校でも家庭でも、弱い者いじめは、男として恥ずべきことと教えられていた。
喧嘩も一対一ですべきもので、どちらの友達も側で観戦しては居るが、手出しはしなかった。その代わり勝負がつくと、負けた方の友達の一人が、勝ったものを相手に復讐戦をしたものだった。

取っくみあいの喧嘩も、一方が地面に倒れると、勝負あったが暗黙のルールで、それ以上殴る蹴るようなことはしなかった。

大人になって学童の喧嘩の現場に通りかかったことがある。見ると負けた相手が地に腹這い、泣いているのに尚も蹴り続けている。まわりの子も傍観して止めようとしない。あまりのことに、中に入ってやめさせたが、何時からこんなことになったのだろう。思えばテレビのプロレスの影響ではないかと思ったことであった。

プロレスは観客へのサービスで、場外乱闘をしたり、観客席の中にまで入って、椅子を振り上げたりしているが、子ども達は、彼らが演技でしていることも分からず、
それを真似しているに違いない。テレビの効果の恐ろしさを思ったことであった。

いじめが問題になるようになったのは、戦後のことに違いが無いが、何時頃からだろう。念のため広辞苑を開いてみたら、次のように説明されている。

いじめ「苛め」:いじめること。弱い立場の人に言葉・暴力・無視・仲間外れなどにより精神的・身体的苦痛を加えること。一九八〇年代以降、学校で問題化。

一九八〇年は昭和五五年だが、その前後には次のような事件が発生している。

①昭和四九年 田中角栄首相、金脈問題で辞任
②仝 五十年 革マル・中核派、国鉄新宿駅で乱闘
③仝 五一年 田中前首相逮捕(収賄罪等で起訴)
④仝 仝 年 ジャンボ宝くじの売り出しで大混乱
⑤仝 五二年 日本赤軍、ボンベイ上空でハイジャック
⑥仝 五四年 「君が代」をジャズ演奏した教師免職
⑦仝 五五年 川崎市浪人生、金属バットで両親殺害
⑧仝 五六年 この年中学生の校内暴力激増
⑨仝 五七年 中高校卒業式の暴力警戒に警察官出動
⑩仝 五八年 横浜市少年ら浮浪者を襲撃、死者三人

これを見ると、田中汚職事件以降、世相の悪化・犯罪の低年齢化が目立ち、学童の苛めにも影響しているような気がする。有名人の行動は、善悪いずれにしても一般大衆、殊に子どもたちへの影響が大きいようだ。

ところで、苛めは今ほどではないにしても、多かれ少なかれ、人間社会にはつきもののようである。人々の中にはサディストやマゾヒストが居るように、気の強い者も居れば、弱い子も居る。

言葉の上でも、「いじめる」に対して、「いじける」がある。広辞苑では、「いじける」は、

①恐ろしさにちぢまりすくむ。②寒さのためにかじかむ。③ひねくれて臆病になる。のびやかでなくなる。

などと説明しているが、多くの人の中には、何時もおどおどしていて、傍の者が、ついチョッカイを出したくなるような子が居るものだ。

そのような子がいても、多くの人は何もしないが、中には冷かしたり、からかったりする者が居る。そのからかいが昂じるといじめになり、多人数でのからかいは悪質な苛めに発展しかねない。

仲の良い子どもの間でも、冗談や悪戯が昂じていじめとなることもある。しつこい冗談や悪戯でも、第三者が止めに入ると、治まることが多いが、逆に、傍の者がからかう方に加担すると苛めに発展する。最近の苛めはこの種の付和雷同によるものではないかと思われる。

どうもこのごろの日本人は、大人も子どもも、自己保身の大勢迎合に走る者が多いようだ。老人の考えだから的外れかも知れないが、どうもそんな気がしてならない。

ramtha / 2016年12月17日