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十一月七日 「多摩川の歌」

今朝の毎日新聞には、歌人の藤島秀憲氏の「これからは多摩川」と題する随筆が載っていた。三十年ばかり前まで「たまプラーザ」に住んでいた私は、筆者と同様に多摩川の土手道を何度か歩いたことがあり、懐かしさに転記することにした。

生まれてから五十五年の間、埼玉県上尾市に住んでいた。芝川や鴨川をよく歩いたものだが、先月、東京の世田谷区に転居した。今度は多摩川の土手が散歩コースになりそうだ。
越してきた翌日、二子玉川駅前にある区役所の出張所で転入の手続きを済ませ、その足で多摩川の河川敷にある兵庫島公園に行った。若山牧水の歌碑があると区のホームページでみたからだ。

畳一枚ほどの横に永い石碑の上に柿が一つ置かれていたが、鳥に突かれて皮とへ夕だけになっていた。鳥が好きだった牧水はきっと喜んでいると思う。

多摩川の砂にたんぽぽ咲く頃は
われにもおもふひとのあれかし  若山牧水

この歌を詠んだころ、牧水は恋に悩んでいた。季節もそして恋も、早く春になることを、待ち望んでいたのだろう。

暖かき春の河原の石しきて
背中合わせに君と語りぬ  馬場あき子

瑞々しい恋の一場面。舞台は多摩川である。石が小さいから背中合わせにしかすわれないのだろうが、背中に恋人の体温を感じている。眷の暖かさよりも背中のほうが暖かかったに違いない。

だが今は十一月、長い冬を迎えようとしている。冬になり空気が澄んでくると富士や秩父の山がよく見えるようになる。

多摩川の川原明け行き遠山の
秩父の山に雪降りぬらし  佐々木幸綱

画面全体が白っぽく作られていることが冬の始まりに相応しく、朝の川原の冷たい空気が読者にも伝わってくる。近景の多摩川に遠景の秩父の山を配置した構成が鮮やかだ。

多摩川の清く冷たくやはらかき
水のこころを誰に語らむ  本かの子

この歌は季節が歌われていない。晩秋か早春か、どちらかとは思うが、一年を通して多摩川の水は清く、冷たく、やわらかそうな気がする。なので「水のこころ」を確かめるためにも、四季を通して、せっせと多摩川を歩くことにしよう。

昔の租税は、いわゆる租(農産物納付)・庸(労役奉仕)・調(加工品納付)で多摩川の流域では、主に繊維製品の納付が賦課されていたらしく、中央政府に納入する布を洗い哂すのは女性の仕事であったらしい。次のような詠み人知らず(作者不明)の古歌がある。

多摩川にさらす白布(しらぎぬ)さらさらに
などかこの娘(こ)の ここだ愛(かな)しき

(多摩川の冷たい水で、都に納める布を洗い哂しているの娘はどうしてこのようにいとおしいのだろう。)

秩父山地から吹き下ろす風の中、作業する恋人を思う東国の青年の一途な心が伝わってくる。

そういえば多摩川ぞいに、今なお「調布」や「田園調布」という地名が残っている。

ramtha / 2016年12月17日