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(1)倫理の低下と刑事犯の低年齢化

古い広辞苑第三版は一九八三年(昭和五八年)十二月第一刷発行となっている。編集発行にどの位の時間を要するものか分からないが、昭和五五年は大平首相が選挙運動の最中に急死した年で、日本はまだ高度経済成長の時代であった。

その豊かな社会が家庭における子供の躾けを緩め、いつまでも親の脛かじりをする若者を育てる結果となり、ニートを生み、さらには親に暴力を揮う者まで現れることとなった。

昭和五八年十一月、川崎市で浪人中の息子が金属バットで両親を殺害する事件が発生。日本史年表によると、翌年、中学生の校内暴力激増とある。

どうもこの頃から、社会の道徳水準の低下がはじまり、二〇〇八年(平成二十年)発行の第六版には、ストーカー・セクハラ・ドメスティックパイオレンス・パワハラなどの単語が見られる。

因にその頃の暴力・殺害事件を拾ってみる。

平成十五年、長崎で中学生が幼児を殺害。
平成十七年、大阪寝屋川小学校で一七歳の少年が教師を殺害。
同   年、岡山県や栃木県などで小学校女子児童殺害事件多発。
平成十八年三月、川崎市で一五階建マンションより児童投げ落とし殺害事件。
四月、秋田県で連続児童殺害事件。
六月、奈良で高校生自宅放火、母親妹死亡。
十一月、秋田県で母親による幼児殺害事件。またいじめ事件各地で多発。
平成十九年、東京都渋谷で歯科医師の次男(二一歳)が妹を殺害切断、他バラバラ事件数件発覚。
平成十九年五月、設置されたばかりの熊本赤ちゃんポストに三歳児が入れられて居た。

昔も冷害や水害による凶作時には、親が泣く泣く幼児を間引くことも行なわれたと聞いてはいるが、経済的には、はるかに豊かになった今日、どうしてこんなことが行なわれるのだろう。

戦後経済復興を第一にして来る間に、日本人は人間性を取り落として来たのかも知れない。

ramtha / 2017年5月8日