筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

1月2日

曇り時々晴れ 午後1時半スタート 上相田方面へ向かい、中村橋バス停の所から左へ山道へ入る。苅り跡の田圃と農家の点在する中、次第に高みへと登って行く。滅多に人の通行はないと見えて、農家の飼い犬に吠えられる。薄暗い木立の中を通ると、足下から大きな鳥が飛び立ち驚かされる。

その木立を抜けると社会福祉法人桂木学園の白い建物が現れる。そこを通り過ぎて暫くすると眼前が開け、八木山山塊を背にした建花寺古野部落に出る。ここで左折、南への緩傾斜の道を下る。建花寺川を渡る古野橋の先の十字路を右折し建花寺本村へ向かう。この辺りは花の栽培が盛んと見えて道の両側に菊畠が広がっている。

この道を直進すれば、やがて昨年登った桂の木から六地蔵へ通じるが、本村部落の手前の十字路から左折南行する。建花寺川と蓮台寺川のちょうど中程の所から右へ入る脇道を辿り、暫く行くと天照神社の前に出る。その前から左折、再び南へ進むと、中堤溜め池と下堤溜め池の間の土堤を行くこととなる。この中堤溜め池の西側に天照大神宮がある。先ほどの天照神社もこれも、いずれも明治期の創建によるものと見受けられる。ことに鳥居や玉垣の奉献寄進の年月を見ると、大正から昭和初期へと日本が軍国主義国家へと傾斜して行った時代の流れと軌を一にするしているかのようである。

蓮台寺公民館の前を通り、国道201号線を横切り、大日寺への坂を下る。坂を下りきったところ左手に八幡宮があり、幟旗が二流、正月の風にはためいている。新大日寺橋で大日寺川を渡り、右手に竜王山、左手に潤野・花瀬へ広がる田畑を見つつ、南東への道を辿る。このまま進めば枝国へ向かう事になるが、福川ぶどう園の先から、右へ小高い台地へ上る道を行くこととする。車一台がやっと通るような道だが、台地上に上がると、正面の丘に筑豊労災病院のものと思われる煙突が見え、その手前にまだ新しい住宅団地がある。彼岸原辺りであろうか。そちらを目指して歩く事とする。

丘の上から見た目には近くに思えたが、道は紆余曲折してなかなか行き着かない。ようやく団地の坂を上るとバス停があり、明星寺団地であることを知る。団地を通り抜け左へ下ると、彼岸原のバス停があり、その先右側に労災病院が現れる。もう30年近くも昔になろうか、当時小学生だった長女と長男を連れて、この辺りに遊びに来た時は、灌木と雑草の中に点々と真っ赤な彼岸花が彩りを添える一面の野原であった。

昭和36年11月弁分・彼岸原③

昭和36年11月弁分・彼岸原④

労災病院脇の後藤さんを訪ねるが不在。これより弁分四つ角を左へ、潤野経由で我が家へ向かう。

昨年、後藤さん宅からタクシーでこの道を相田まで帰った時にはえらく近く感じたものだが、弁分、潤野、花瀬、伊岐須と歩いてみると、可成り遠い。くたびれはててようやく我が家に辿り着く。暫くは靴も脱がずに玄関に座りこんでしまった。

(本日歩行 24100歩 約14km)

ramtha / 2017年9月11日