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十月三十一日「宗教と正義」

今朝の毎日新聞では、宗教改革五百年というシリーズ記事で、十五世紀のドイツの宗教改革者についての多くの人の評価を次のように伝えている。

「真に悔い改めたキリスト教徒は、免罪符がなくても、完全な許しを得ている」。ルターが独東部ウィーアンベルグ城教会の壁に張り出したと伝えられる論題は、ローマ法王の座所となるバチカンのサンピエトロ大聖堂建設などのため、ローマ教会がドイツ各地で罪の許しを与える「免罪符」を販売し、莫大な利益を得ていることを批判したもの。当時、法王に逆らうことは死を意味した。

ベルリンから高速鉄道で40分。ウィッテンベルクは当時一帯を支配したザクセン選帝侯フリードリッヒ3世(賢明公)が開いた。ルターは賢明公の招きで1512年、人口2000人のこの町の大学に籍を移した。「小さな町だったことは宗教改革の足かせにはならなかった」。ザクセン・アンハルト州マルティン・ルター記念館財団のベンヤミン・ハッセルホルン博士(神学)は語る。気鋭の若き神学者たちによる自由な議論。身の安全を保証する賢明公。加えて「ここには宗教画家クラナッハの工房と印刷工場があった」。

キリスト教会改革を試みたのは、ルターが初めてではない。十五世紀初等、チェコの神学者ヤン・フスは、聖書のみを信仰の根拠とする考えを提唱。「異端」とされたフスは火あぶりにされた。だが、ルターは、同じ失敗を繰り返さなかった。活版印刷を活用し、クラナッハの宗教画を載せたルターの文章は瞬く間に広がった。哲学者のマティアス・ルッツバハマン氏は「学問的にも神学的にも、裏付けられた政治運動でありながら、(信仰のあり方という個人の)心の問題という側面もあった。それゆえルターは成功したと話す。

ルターは、教会や司祭を通じてではなく、聖書を読みキリストと直接向き合う姿勢を信仰の中心に据えた。その他ラテン語で書かれた聖職者だけが読めた聖書を大衆のものにした。「ルターは理解しやすい語彙を探して聖書を翻訳し、現代ドイツ語の基礎を作った」とハッセルホルン氏は説明する」

これを見て、教えられたこと、感じたことを、書きとめておく。

①宗教や正義など、「信じる」ことを基礎とするものは、理屈ではないから、信じない者に理解させることはできない。そこに宗教や正義の危うさがある。

宗教や正義は、それ以外の別の見方や、考え方があるとは、最初から思っていない。だから信心が深くなるほど、外が目えない盲目となる。

②これによると、ルターが、理解しやすい語彙を探したのは十六世紀ということだが、この当時の日本人は大半が無学文盲であったようだ。その日本が今日のような世界の先進国になれたのは、江戸幕府三百年の泰平があったことによる。明治維新まで鎖国していたのに、どうしてだろうと思われる。

③しかし、欧米文化こそ、長崎という小さな窓からしか入って来なかったが、平和の中で徐々に蓄積されたものが、途中で破壊されることなく発展してきた。これが今日の日本を作り上げたのだ。
平和が人類の進歩、発展にいかに大切なものか、改めて知らされる。

ramtha / 2018年3月31日