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「第二話」 文書整理

文書課に移った初めに驚いたのは、公文書のファイルが壁際の書類棚だけでなく、課員それぞれの机の袖や引き出しに保管されていることであった。
必要があって、同様な事案の前例となる文書を探したが見つからない。先日目を通して、山本義夫さんにファイルするよう手渡したはずの書類だが、書棚の関係ファイルを広げてみたが分からない。山本さんが外から戻ってきたので、尋ねてみると、彼はやおら自分の机の袖から、その書類を綴ったファイルを取りだしてくれた。

私は労務課にいたとき、先輩の木庭さんから、会社の書類はみんな書類で、何時でも誰でもが取り出して見ることが出来るように整理しておかなければならない。個人の机の中にしまうなどはもってのほか、必ず書類綴りにファイルして書棚に保管するようにと躾けられてきた。だから、わが社ではどの課でもそうされているものとばかり思っていたので、びっくりした。

その後みんなの様子を注意してみると、課員それぞれが自分が処理した書類をそれぞれのファイルに綴って、机の引き出しや袖に入れている。だから、同じファイルに整理されるべき書類でも、山本さんが処理したものは彼のファイルに、広津さんが取り扱った書類は彼女のファイルにと、別のファイルに綴られ、別々に保管されている。これでは年中書類探しに時間を取られ、能率の上がらないこと夥しい。

私は労務課でのやり方を説明し、改めるよう指示したが、山本さんも織田君も承服したような顔はしていない。ことさら反対を唱える者はいなかったが、広津女史以外は従来のやり方を改めようとはしない。新参の若造の言う事など無視された形である。

当時の文書課では、一人一人自分の周りに衝立でも巡らし、立て籠もったかのような感じの仕事ぶりであった。だから私は内心腹が立ったが、時間をかけて納得させるより仕方ないと覚悟した。

その後、織田君の死、山本義夫さんの転出で、新たに野見山君、山本操一君が着任し、若返ったのを機に、課内の書類を一斉に整理なおす事にした。

各人の机の中の書類を全部出させ、書類棚のファイル共々再分類して、ファイルしなおす作業にとりかかった。まず、すべての書類関係項目毎に分類し、見出しラベルを添付し、整理番号を記入し、目次を付け、それぞれのファイルには一見してその内容が分かるように背表紙を付けるなど、細々とした作業で根気を要する仕事である。

就業時間中はデイリーワークがあるので、野見山君と二人で退勤後や公休日に作業したが、来る日も来る日も夜遅くまでやってもなかなか終わらない。その頃のことだった「一日くらいお日様のある内にわが家に帰りたいものだね。」と野見山君と話し合ったことがあった。

四十年も昔のことで、記憶も薄れてしまったが、どのくらいの日数がかかったことだったろう。しかし、その大作業終わってからは、書類探しに時間を取られることもなくなり、ようやく正常勤務に復することが出来た。

あんな連日の残業など、よくまあやったものだと思われるが、若さのなせることであったのは間違いない。その時はずいぶん忙しい思いもしたが、今となっては、これもまた懐かしく楽しい思い出の一齣である。

(平成九年十二月)

ramtha / 2020年3月29日